『男のからだ男のにおい』ピアニストを目指す海帆は中性的な外見に悩んでいたが、ジム経営者の星五と出会い男らしい身体になる。手に深い傷跡のある海帆には忘れ去られた過去があった。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

R18

あらすじ

海帆(みほ)は18才の音大生でピアノを専攻。彼の右手には大きな傷あとがありピアノを弾く時、時々音が飛んでしまう。彼の手の傷は治っていて、それは心の問題だと言われ、カウンセリングを受けている。実は手の傷がどうしてできたのか、海帆自身が意識の中に封印してしまったため記憶にない。海帆は顔も名前も女みたい、と言われ男性には人気がなくて、女性にもてているが彼は女性に全く興味がない。バイオリストの龍聖(りゅうせい)に、女みたいと言われて振られて泣いている時に、星五(せいご)という逞しいジム経営者と出会い結ばれるが、海帆が手の傷によるトラウマのため人生に消極的になり、他の人に彼を譲る形で二人は別れてしまう。海帆は星五に鍛えてもらい、4カ月後立派な男の身体を手に入れる。海帆はファッションモデルの頼潔(よりきよ)と出会うが彼に、「女とはヤれない。」と拒否されてしまう。しかし海帆が服を脱ぐと頼潔は彼の男らしい身体に驚いて、海帆とベッドを共にするのだった。頼潔と同じモデルエージェンシーに入った海帆は、男らしい身体と中性的な魅力を兼ね備えた、ユニークなモデルとして話題になる。ドイツの有名なピアノメーカーのモデルに選ばれるが、その時海帆の右手の傷のため、「悲劇のピアニスト」がキャッチコピーになり、その傷がどうしてできたのか、マスコミの好奇の目にさらされることに。思いやりのないマスコミに追われる海帆は、次第にパニックに陥るようになる。そして手から血を流している過去の自分自身の幻覚を見るようになり、ストレスで14才に退行してしまう。星五は海帆を助けようと、海帆の双子の妹、花帆(かほ)に電話をかける。14才の時、海帆は学校で女っぽい外見と、ピアノを弾けるため女生徒にもてることが原因で、酷い虐めを受けていた。海帆は自分を憎むことでなんとか精神のバランスを保とうとした。ピアノコンクールで全国大会へ出場する直前、悲劇は起こった。自分を憎むあまり、自殺するよりもっと酷いことを自分にすべく、彼は自分で自分の手を傷付ける。14才に退行した海帆は全てを思い出し、やっとピアノがちゃんと弾けるようになり、星五と再び結ばれる。

 

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

男のからだ男のにおい

1

なんでこんなとこに来たんだろ?でも、家にいるのも嫌だったし。でも、一人でここにいても悲しくなる。でも、誰かとセックスできるかも。でも、夕べ別れたばっかでそんなこと。でも、誰かとヤらないと気がすまない。でも、誰でもいいという訳にも。でも、こうなったら誰でもいいか。さっきから俺の頭は、グルグルその辺を回っていて止まらない。ここは、夕べ別れた龍聖とよく一緒に来たバーだから、もしかしたら今晩もあのバカは来るかもしれない。新しいの連れて。別に来てもいいし。関係ないし。そんなこと言ってたらどこにも行けないし。このバー、ゲイバーで、大き過ぎもせず、小さ過ぎもせず、内装は黒く塗った木の造りで、古いランプみたいなのを使った照明で、他のバーより暗くて、俺はそこが気に入ってる。でも音楽の趣味は最悪で、主に古いハードロックがかかってる。バーのカウンター席が、ずっと店の奥につながってて、今の俺みたいに隠れていたい時、そこに座ってることができる。今日なに?何曜日?なんでここ、こんなに混んでるの?一生懸命考えたら、今日は金曜日だった。まあ、あと数時間だけど。なんか飲み過ぎかな?俺そんな酒強くないんだ。夕べ散々泣いたし、今飲み過ぎたし、きっとひどい顔してる。トイレに行って鏡を見てみることにした。鏡を見ようと思ったら、個室の中から男と少年が一緒に出て来る、二人は俺の方は見てなかったが、中でなにしてたんだろ?関係ないけど。男は多分30過ぎくらい。高そうな革ジャンを着て、見かけは悪くない。若い方は多分10代、っていうか、156って感じ。どうやってこのバーに潜り込んだの?鏡を見た。確かに酷い顔だが、それが同情を買うかもしれない、なんて変なことを考えながら、冷たい水を顔になん回かかけて、俺はカウンター席に戻らずに、壁に寄りかかってまたビールを飲んでいた。知ってる男が近付いて来る。名前も知らないヤツ。

「なに?」

「友達に誰か若いの紹介しろ、って頼まれてるんだけど、どう?」

「誰?」

機嫌悪そうに俺が答える。なんでこいつ俺達が別れたこと知ってんの?辺りを見回すと、俺が夕べ別れた龍聖と、その新しいのが一緒にいる。一緒にいるどころか、抱き合ってお互いのケツ触りあってキスしてる。俺は心底気分が悪くなった。

2

俺の別れたバカは、龍聖という名の、彼の祖父も父も兄もバイオリニストの家系で、龍聖は俺の行ってる音楽大学で一番できるバイオリニストで、俺は大学に入る前からずっと彼のファンで、しょっちゅう練習を覗きに行ったり、俺のピアノの腕じゃ、とても彼の伴奏なんて無理で、ただ見てるだけで、初めて声掛けてくれた時、世界がパーって明るく輝いて見えた。

「あれっ、君また見に来てたの?よくいるよね?」

俺、なにも言えずに微笑むばかりで。

「君、名前なんていうの?」

「海帆です。」

俺、見かけも女だし、名前も女だし。龍聖が、俺が男だって分かってくれたのは、それからしばらく経ってから。そうだ。このバーで会ったんだった。

「あれっ、君。もしかして男の子だった?」

「よく間違えられるから。」

「あんまり可愛いから。」

なんて、これに騙されたんだよな。あっちはその時大分酔ってて、ヤツの周りの友達に、

「この子あんまり可愛いから、ずっと女の子だと思ってた。」

って。そしたらその友達連中も、

「えっ、女じゃないの?」

だって。そいつらにすっかりバカにされて、俺がバーの外に走り出ようとしたら、ヤツに止められてキスされて、キスされるには彼が高尚過ぎて、彼がバイオリンを操るあの手で身体を触られて。まあ、あとはよくあるパターン。

3

「誰?若いの紹介しろって。」

「星五っていうヤツ。」

聞いたことないな。誰でもいいや。知らないヤツの方が、多分いい。今晩は絶対誰かとヤらないと気がおさまらない。その名前も知らない知り合いの男が、俺の返事も待たずバーの人ごみに消えて行って、数分して一人の男を連れて来た。この男、さっきトイレで156の少年と個室から出て来た男。やっぱり若いのが好きなの?俺はあそこまでは若くないよ。知り合いが、

「星五、この人。」

星五と呼ばれた男が、俺の方を見て、

「え、この子?いくらなんでも美形過ぎんだろ、俺には。中性的っていうか。」

また?コイツも俺のこと女みたいだって?女と寝るつもりないから、とか、これじゃあ女とヤってるみたい、だとか、あとは忘れたけど、色々言われる。俺ってなんでこうなの?でも、星五の言い方はそんなに嫌じゃない。失礼な言い方じゃなくて、上手く褒めてる、って感じ。美形とか、なんとか。俺、できるだけ男っぽく、ワイルドに見せようと頑張るんだけど、上手くいかない。今夜は、黒いジャケット、黒いTシャツ、黒い穴開きのスキニージーンズ、黒いロングブーツ、黒い帽子かぶってる。ゲイの男が求めるのは男だから。でも俺みたいのが好き、っていうヤツもいる。時々。

「それに悪いけど、いくらなんでも若過ぎんだろ?

なに?コイツ。俺とヤりたくないんだったら、早く言えよ。俺、別にほか探すし。

「君いくつ?」

俺は酔った勢いもあって、多少荒っぽく、

関係ないだろ?俺と寝るの、寝ないの、どっち?

それはまだ分からん。話しくらいしないと。

なんで?なに話すの?

話したいんだ。

って、真面目ぶって。

「貴方イケメンだけど、変な人。

俺の名前も知らない知り合いが、

ちょっと前までは普通だったんだ。
って、よくわけわかんないことを言う。星五は店の外に向かって歩いて行く。俺はなんだか、こんなのバカバカしいな、と思いながらもついて行く。彼は俺ぐらい背が高く、かなり鍛えた身体。コイツが今晩俺のことヤってくれるんなら、まあこっちには異論はない、って感じ。だけどなに話すの?俺が欲しいのはセックスなんだけど。星五は近くの上品なカフェに入って行く。

あんなうるさい所じゃ話もできない。

クラシックがかかってる。俺は耳を澄ます。ちょっと泣ける曲。誰の曲だったかな?俺やっぱり飲み過ぎ?なんで分かんないの?星五が、

でも君悪いけど、ほんとにちょっと俺には若すぎるぜ。

見た目よりいってるぜ。

へー、いくつ?

20。そっちは?

32

これなに、お見合い?

思い出した。これ、ラフマニノフ。でも俺このピアニストの弾き方、好きじゃないな。誰が弾いてるんだろう?星五が、

仕事なにしてんだ?

「そっちは?」

俺はジムを3っつばかり経営してる。

ふーん。

で、そっちは?

ピアノの先生。3才から大人まで。

「へー、そんなカッコで髪長いし、全然想像できなかった。

別に24時間ピアノ教えてる訳じゃないから。」

「君さ、なんでそうイライラしてんの?」

「仕事とセックスとどう関係あんの?どういう仕事だったらダメで、どういう仕事だったらいいの?」

腹立つことでもあった?別に言わなくってもいいけどさ、言いたくなかったら。

親友に彼氏を寝盗られた。

悪かったな、聞いて。

いいよ、別に長いこと怪しいな、って思ってたし。ただ、夕べ二人がベッドにいるの見ちゃったから。

「今は腹立ってるだろうけど、君の元カレがそういうヤツだって分かってよかったんだ。そういう連中は幸せになれないから。」

こんな大人の男に言われると、なに言われても納得できる感じがする。星五が、

「なんか食べるか?なんでもいいぞ?泣きたいなら泣いてもいいし。」

ありがとう。もう大分泣いたんで、きっと大丈夫。

ほんとはまだ大分腹も立ってるし、まだ全然泣き足らない。こんな大人の男の胸にすがって泣たい。できれば。俺が、

「そいつら、さっき二人であのバーにいた。」

「そうか。時間が経てばきっと忘れるから。」

「彼と親友といっぺんに失くしたから、多少時間はかかりそう。」

「そういう時は、サッサと次のヤツ見付けるんだ。」

「サッサと次のヤツ?」

「いくらでもいるだろう?君みたいに綺麗な子。」

「そうかな?」

「肌も綺麗だし、背も高いし、モデルさんみたい。」

「よくやらないか、って言われるんだけど、俺、ピアノちゃんとやりたいし。」

「なんか、勿体ないな。」

「俺って、いつも男に人気なくて。女の子にもてるんだけど。」

「女の子と付き合ったことあるの?」

「無理ですよ。」

「なんでも奢るから。ここビールもあるし。」

「はい。」

「あ、そうだ、君、名前は?」

「海帆。海って言う字に船の帆。」

「名前まで。」

「女みたいでしょ?」

「ビール、どんなのがいい

ダークなヤツ。でもいいや、俺もう飲み過ぎだし。

「いいよ、飲めよ、そういう時は。」

「はい。」

ピアノの先生って今まで俺の周りにいなかったタイプだな。

星五の声の調子が、ほんとにエキサイトしてるみたいだったから、俺は少し笑って、

「ほんとはね、俺まだ音大生で、先生はバイト。」

「君、笑った方がずっと可愛い。」

「可愛い、って言われる年でもないけど。でも、さっきの20っていうのはウソ。ほんとは18。ゴメンね。」

「いいけど。」

「貴方、ほんとに若い子が好きなの?さっきトイレで見ましたよ。あの子は俺よりもっと若かった。」

「アイツね。」

って、言ったきり、それについては触れようとしない。どういうこと?関係ないけど。曲が変わって少し明るい曲になる。誰の曲だった?また思い出せない。俺はテーブルの上でピアノを弾く真似をする

確かに、指長くて綺麗な手だな。」

星五は俺の手を取って、それにキスする。俺がビックリして、彼を見る。そして彼が俺の手を見て、

「この傷はなんだ?これはひどいな。」

「これね。昔、誰かにやられた。」

ありがたいことにこの男は、それ以上は突っ込まない。大人ってこと?

「これでよくピアノ弾けるな?」

「先生はできるけど、コンサートピアニストにはなれないかな。」

俺の手の傷、ほんとはもう治ってて、普通に弾けるはずなんだけど、どうしても時々音が飛んでしまう。素人には分からないレベルなんだけど。心の問題だって、医者には言われてる。だから週一度、カウンセリングを受けてる。心の傷。もう忘れてしまったはずの出来事。俺が、

「あの、さっき、ちょっと前まで普通だった、ってどういうことですか?」

「さっき俺、あそこで友達に会ったんだけど、そいつが、いい彼氏ができから、ずっと一緒にいたい、って。それ聞いて俺も、そういう人を捜したいな、って。だから俺、一夜限りとかはもういいかな、って。」

「じゃあ、そういうずっと一緒にいたい、っていう関係が普通じゃないってことですか?」

「そうらしいよ。知らないけど。」

「じゃあ、星五さん、若い子とトイレでヤるのはあれが最後、ってことですね。」

彼はまたそれには答えず、俺はちょっと笑って、まあいいか、って思ってその話しをするのをやめて、

「俺、長く付き合いたいタイプですよ。」

「へえ。でも君、やっぱり綺麗過ぎる、俺には。」

「もっとハッキリ言ってくれていいですよ。」

「なにを?」

「女みたなヤツとじゃ、たたない、ってことですよね?よく言われるんで。」

「そういう意味じゃないよ。」

「でもいいです。ほんとの事だし。」

「君が綺麗なのも、ほんとだよ。」

「ありがとう。俺達、友達にはなれるでしょう?」

「それは当然。」

今度、うちの教室の発表会があるから来て。俺は一番最後に弾くから。

4

ピアノの発表会。小さい子がたくさんいるんで、いつもカオスになる。泣き出す子、固まる子、4才や5才で、舞台の上で弾こうなんて、かなり無理。女の子達は、フリフリのドレス着られるだけで嬉しそう。やっとインターミッション。俺が教えてるチビちゃん達、みんなよくやってくれた。これからは大きい子達、中学生以上になるから、多少は安心して聴いていられる。そこへなんか場違いな男が入って来る。男は背が高く、カッコいい黒のスーツに黒いシャツにネクタイも黒だし、会場の中でサングラスかけてて、誰?って感じ。生徒の父兄にヤクザの人いたのかな?って、よく見たら星五さんだった。俺が、

星五さん来てくれたの。嬉しいなゴメンね。バタバタしてるからまたあとでね!

俺の一番小さい生徒の、4才の優真ちゃんが、階段のところで転んじゃった。その子は

「せんせーい!」

って、叫んで泣きながら俺に抱き付いた。

あらあら、優真ちゃん。お母さんはどこかな?

なんか星五さん、俺の方は向いてるんだけど、なんか俺のこと誰だか分かってなさっぽい。俺は今日は髪も後ろでまとめてるし、真っ白なシャツに、明るいパステルグリーンのスーツを着てる。そして最後に俺の出番。海帆先生の、模範演奏。ショパンのエチュードOp. 25 No.1。俺が弾き終わって、さっき転んで泣いてた優真ちゃんが、すっかり笑顔になって大きな花束をくれた。だから俺、子供好きなんだよな。泣いたと思ったらすぐ笑う。

5

「君のこと全然分からなかった。最後に、君の名前呼ばれて、ピアノ弾き始めてやっと分かった。」

「そうだろうと思った。星五さん来てくれてよかった。俺の指、いつもよりよく動いたし、音も飛ばなかったし。」

「俺なんかが聴いても、どうせ分かんないよ。」

彼は車で来てたんで、家まで送ってもらった。細かい荷物が色々あったんで、助かった。彼の車は、やっぱり黒のセダンで、やっぱりなんかヤクザっぽい。俺がスーツを脱いで着替えようとして、上半身裸になると、彼が驚いて近くに来て、

「身体は男っぽいんだな。」

「そりゃ、男だから。」

「不意を突かれたからか?顔が女っぽいから余計そう思うのか?」

星五さんは、自問自答しているみたいに。

「でも俺全然、星五さんみたいに鍛えてないし。」

「そういう事じゃなくて、なんて言うか、肌の感触と言うか。」

「感触って、でも貴方、俺にまだ一度も触ってないし。」

彼は、もっと俺の近くに来て、俺の頬に手の甲を当て、そのままそれを首から胸に這わせる。そして、

「肌が男だ。普通の男よりもっと。」

「そんなこと言われたことない。」

「においも男だ。」

「ゴメン、今日汗たくさんかいたから。」

「いや、このままでいい。」

彼は俺の両肩に手を置いて、軽くキスする。全く予想外の展開に、俺はビックリして彼の目を見て、

「友達になろう、って言ったから。」

「そうだけど。」

彼は俺の背中に回って、

「そうなんだけど。」

って、彼は、俺の首の後ろにキスして、そして肩、背中に。

「星五さん。」

「星五でいいよ。」

彼は、俺の前にひざまずいて、俺のベルトを外そうとする。俺が焦って、

「星五、俺・・・」

「なに?」

「俺、シャワー浴びて来る。」

「このままがいい。」

「でも。」

「悪いな、もう俺、止められないから。」

って、だんだん荒い息をしながら、とうとう俺のベルトを外してパンツ脱がして、彼が、

「君くらいだと、俺、持ち上がるな。」

って、俺のこと軽く持ち上げて、それでお姫様抱っこして俺にキスしながら、

「ベッドルームはどっち?」

俺が、

「あっちがベッドルームで、そっちがピアノの部屋。」

って、教えてんのに、彼はピアノの部屋の扉を足で開けて、俺のことそっちに運んで行く。ピアノのある部屋はフローリングで、床に寝かされた時、背中が冷たい。俺がちょっと笑ったら、彼は、

「なに?」

「背中が冷たい。」

「悪いな。」

そう言いながら彼は自分の着ている服を脱いで、ピアノの部屋は暗いけど、リビングの明かりで彼の鍛えられた身体が照らし出されて、怖くなるほど。彼が俺の身体抱き締めた時、俺ほんとにちょっと怖気付いてしまって、声が泣き声になって、彼は、

「どうした?」

って、優しく言ってくれるんだけど、俺は、

「ちょっと怖いの。」

「なんで?」

「星五があんまり逞し過ぎるから。」

「じゃあ、優しくするから。」

確かにその時のキスは優しかった。星五はキスが上手で、頭の先から胸の下くらいまで震えるようなディープキス。でも優しかったのはそこまでで、

「ああ、ほんとに男の身体だ。男のにおいだ。」

俺の身体中を痛いほど愛撫して。俺はこんな強い大きな手で身体を触られたことがなくて、自分がどうなるのか不安で、なん回目かに身体をうつ伏せにされた時、

「星五。」

俺が泣きそうな声で。

「海帆。優しくするから。」

彼は俺のアヌスを広げて、自分のペニスをゆっくり中に入れた。俺は不安だったけど、彼のするように身を任せることにして、俺がじっと耐えてるから、彼はもっと急いで俺の中に入ろうとして、俺が、

「星五、痛いよ。」

「ゴメン。」

星五が俺の奥に達して、最初はゆっくり動き出したんだけど、段々速くなり過ぎて、俺が、

「星五、星五。」

って、泣き声を出して、彼は、

「悪いな、我慢してくれ。」

彼の動きがもっと速くなって、彼が、

「お前の身体が俺を狂わせるんだ。」

俺の声がもっと大きくなって、彼がイって、

「ゴメン、海帆。」

そう言って、俺にキスしながらまた俺を持ち上げて、背もたれのあるピアノの椅子に、俺の足を広げて座らせて、その大きな手で俺の身体や足に触りながら、俺のペニスを舌で舐めて口でしごいて、俺がまた、

「痛いよ。」

って、言うんだけど、全然彼は聞いてくれなくて、俺がイった時、彼は急いで自分の服を着て、出口に向かうと、

「俺はもう、君に会わない方がいい。じゃないと、君のこと殺してしまうかも。」

俺はショックで、

「なに言ってんの?座って、ここに。」

リビングのカウチに座らせて、俺もガウン着て隣に座って、彼は段々落ち着いてきて、

「海帆、俺、痛くしたか?」

「そうでもない。」

「悪かった。」

「俺、星五が俺のこと殺したいなら、それでもいい。」

「バカなこと言うな。」

「だからもう会えないなんて言わないで。」

星五は、俺の邪魔な髪をどけながら、俺の目を覗き込みながら、大分長いこと考えて、

「分かった。俺も海帆に会いたい。」

6

大学の授業の間、星五のことをずっと考えてた、俺の身体が普通の男より男っぽいなんて、そんなことってあり得るのかな?それは指揮法の授業で、俺の手が将来、ちゃんとピアニストとして、使い物になるかどうか分かんないんで、ピアノの教授が取れって言ってくれた授業。そのピアノの教授、旗田先生、っていうんだけど、この大学に入る試験の時も、俺のこと大分押してくれた、って聞いた。なんでかはまだ聞いてないんだけど。このあとの授業は作曲なんだけど、どう考えても俺に作曲の才能があるとは思えない。それも旗田先生が勉強しとけ、っていうから。ランチタイムだな、なにか食べるか、ってあんまり食欲もないけど、考えてたら、俺のファンの女性が数人側に来て、媚びた笑顔で話し掛けて来る。俺が龍聖と付き合ってる時、ここでも相当いちゃついてたのに。分かって欲しい。なんで女って女みたいな男が好きなの?深く考えるのをやめてから大分経つけど。で、その次がピアノの授業だった。授業の終わりに、先生が、

「海帆、ちょっと残って。」

他の生徒がみんな行ってしまってから、先生が、

「ちゃんとカウンセリングは受けてんのか?」

「はい。」

「どうなの?」

「こないだバイトの方の発表会があって、その時はちゃんと弾けました。」

「よかったな。」

「あの時は友達が見に来てくれて、嬉しかったから。」

「じゃ、いつもその人に来てもらえばいいんだ。」

「忙しい人だから。」

「なにしてる人?」

「ジムを3っつ経営してるそうです。」

「彼氏?」

「まあ。」

「新しいヤツ?」

「まあ。」

「公開授業とか、そういう時に来てもらえ。それ考えると、やっぱりお前のって気持ちの問題なんだな。」

「先生、そういえば、入学試験の時、俺のこと押してくださったって、どうしてなんですか?」

「どうしてだろう?面白そうだったから?ピアノ教えてるとさ、似たようなヤツばっか、毎日聴いてるだろ?」

「面白そうだったからですか?」

「そう。誰が教えても上手くなるような生徒じゃ、面白くない。」

7

次に星五と会ったのは、またゲイバー。また同じとこ。俺が先に行ってて、窓の外をずーっと見てた。彼が来るまでずーっと。その間に雪が散らついて来た。ここまで夢中になれる人って、俺にはあんまりいない。俺のこと好きになってくれる男も、あんまりいないけど。俺がこないだ別れた元カレ、龍聖が、また俺の元親友と一緒に来てる。二人は時々俺の方をうかがってて、俺が誰を待ってるか知りたいのかな、なんて勝手な憶測をしてた。その晩は俺、気分的に盛大に女のカッコをしてて、ストレートで、背中の半分くらいまである髪は長いまま。顔の左右に長い三つ編み。髪型だけでも女っぽい。赤いコートに、プリントのシャツ。彼はなかなか来なくて、俺ケータイ持ってないから文句は言えないけど。30分以上窓の外を見ててやっと来て、彼はまた全身黒っぽいカッコに、夜なのにサングラスかけて、タクシーから降りて来た。彼はすぐ、窓から覗いてる俺のこと見付けてくれて、微笑みかけて、ドアを開けてすぐ俺のこと抱いてキスしてくれた。

「ゴメン、遅れて。お前がケータイ持ってないの、ほんと不便だな。」

俺達ほとんど背の高さ同じだから、抱き合うと胸と胸が合って、それがいい感じ。

「お前なんでケータイ持ってないんだっけ?」

「だって、持ってると誰かが電話かけてくるでしょう?」

彼はそれには答えず、ただ笑って、またキスしてくれる。急に後から、俺のこと誰かが呼ぶ。

「海帆。」

星五が、俺に囁く。

「誰?」

俺が、

「元カレ。」

龍聖は、

「お前みたいな中途半端なの、ヤってくれるヤツいるんだな。」

俺が龍聖を睨んで、

「どういう意味?」

ヤツが、

「お前とヤっても女とヤってるみたいだった。俺が付き合ってやっただけでもありがたいと思え。」

星五のパンチが見事に決まって、龍聖が床に倒れた。俺が、

「星五、腕折ってやって!こいつバイオリニストだから。」

ヤツが、

「腕はやめてくれ!」

俺が、

「こんなヤツ、再起不能にしてやって!」

って、叫ぶ。龍聖は、

「海帆、悪かった。嫉妬した。」

俺の元親友が駆け寄って、

「どういう意味?嫉妬したって?」

バカ二人はケンカを始めた。星五は俺の腰を抱いて、そいつらから離れた席に連れて行く。星五が俺の右手の傷跡に触って、そしてそれにキスする。

「だめだ、海帆、人を傷付けたら。君が一番よく知ってる。」

「アイツよく言ってたから。女と寝た方がマシだって。」

「俺はそう思わないから。」

星五は俺が着てるシャツの一番上のボタンを外して、そこにキスして深く息を吸って、

「海帆のにおい。男の身体の。」

それから彼が少し笑って、

「お前覚えてるか?初めて俺に会った時、『俺と寝るの、寝ないの、どっち?って、いきなり。

「だってあの前の晩、別れたから。さっきのバカと。」

「なんであんなヤツと?」

「アイツ大学で一番できるバイオリニストで、憧れて。」

「俺がボクシングのチャンピョンに憧れるようなもんだな。」

俺はその比較が面白くてずっと笑ってて、

「なるほど。今度アイツのことで泣く時は、それ思い出すことにします。」

「海帆、今晩、俺んち来いよ。」

って、俺の耳に、くすぐったく囁く。

「うん、でも俺、今少し泣きたい気分かも。」

「なんで?」

「分からない。さっきのことで。少し自信失くした。」

「自信失くした、って?」

「俺だって、こういう風に生まれたかった訳じゃないし。」

「俺、言ったろ?海帆の女っぽい外見と、男らしい身体のギャップがいい。セクシーで。」

「少し泣かせてくれない?」

「分かった。もうここ出よう。」

8

星五が、気に入ってて、よく行くらしいレストランに行った。二人になって俺も少し気が晴れてきた。そこは健康的なメニューの揃った明るい感じの店で、俺達は軽く飲みながら、食事をした。ブースの席だったんだけど、俺やっぱり少し泣きたい気分で、星五の腕に捕まって、肩に頭を乗せた。涙がひとしずくだけ頬を流れた。彼は、

「泣きたいなら泣け。止めないし。」

「ありがとう。ゴメンね、鬱陶しくて。」

星五が俺の髪をいじってる。

「綺麗な髪だな。サラサラ。」

あんなバカより、星五の方がずっと優しいのになんであんなヤツのこと考えて、泣いてんだろ?

「もう少し食べないと、元気が出ないよ。」

「うん。」

星五は俺を抱き寄せて、フォークで俺に食べさせてくれる。変なの、俺、子供になった気分。

「こういうタンパク質が大事なんだ。筋肉を作る上で。」

「あ、そうだ!星五、俺を鍛えて、ガッチリ男らしい身体に!」

「いいぞ、俺、プロだし。」

「ヤッター!」

「楽しみだな。」

俺はこのアイディアに夢中になって、泣くことも忘れて、星五に抱き付いた。

「海帆、俺んち行こう。君を早く抱きたくなった。」

9

星五の家は、モダンに改装してある昭和っぽい家で、彼の亡くなったお祖父さんが建てたそうだ。彼が玄関を開けると、ネコが数匹家の中に入って来た。ノソノソした、あんまりガラのよくないネコ。

「このネコはこの家のネコですか?」

「まあ、そんなようなモノ。」

彼らはキッチンに置いてあるエサをノンキに食べている。

「他のご家族の方は?」

「俺の両親は二人共教師をしてて、もう引退して南の方に家を建てて住んでる。」

「俺も体育の教師だったんだが、ジムの商売に興味を持って。」

俺が中庭を見ようとして、縁側に出ると、なんか人の気配が。

「あれっ、誰かいる。」

星五が、

「輝生。」

って、呼ぶと、隣の部屋が開いて、少年が顔を出した。俺の顔をチラって見てた。

「輝生、お前、どっから入った?」

「窓が開いてたから。」

「今日は泊めてやれないから、お前ちゃんと家に帰れ。」

少年は大人しく言うことを聞いて、玄関から出て行った。そういえばあの子、見たことある。星五を初めて見た時、トイレの中から星五と一緒に出て来たあの子。多分、間違いない。星五が、

「海帆、ベッドがいい?それとも布団がいい?」

「俺、布団がいい。なんか旅館みたい。」

星五がフカフカのいい感じの布団を、畳の部屋に敷いてくれて、俺達いっぱいキスしながら、彼が、

「早く服脱がしたい。男の身体が見えて来るから。」

彼は俺の着ていた服を全部脱がして、なんかのオイルを身体中に塗ってくれて、身体が暖かくなって気持ちがいい。彼は、オイルで光ってる俺のペニスに触って、

「海帆の、なかなかでかい。」

ペニスの先のとこにキスして、それから俺のことをうつ伏せにしてまたオイル塗られて、お尻をたくさん触られて、お尻の間の溝にまでオイル塗られて、少し恥ずかしくなって、

「やだ。」

「なにがやなの?」

「なんか恥ずかしい。」

そしたら彼はそのまま俺の足の方へオイルを塗って、それからまたお尻に戻って、俺のアヌスにたっぷりオイルを流して、やっと自分の服を脱ぎ始めた。部屋の明かりがまぶしくらいついてて、でも今日は星五の身体を見ても、こないだみたいには怖くない。俺は自分から彼に近付いて、彼の身体を抱き締める。俺が、

「俺もこんな身体になる。」

って、言ったら、彼はちょっと笑って、

「まあ、ゆっくりやっていこう。」

「うん。」

俺は彼の足を広げて、彼のペニスを口に入れた。前の時みたいに怖くない。むしろ彼の逞しいモノに触って安心するくらい。布団っていいな。のびのびできる。ベッドから落ちる心配ないし、派手なセックスができそう。彼が俺を布団に仰向きに横たえて、オイルを塗った身体を見ながら愛撫する。

「海帆はアンドロギュヌスなんだよ。とっても特別で神聖な存在。」

彼は俺の乳首に触って、俺の腰の線に沿って指を這わせる。

「腰が他の男より細いんだ。このくびれのところに女性的なカーブがある。この身体をどう作っていくか。楽しみだ。」

彼が俺のお尻を高く上げて、自分のペニスを挿入する。オイルを塗ってるから前の時より、すんなり入って、快感だけが広がっていく。彼も気持ちよさそうな声をあげて、激しく俺の中を突いてくる。俺は自分で自分のモノを触り始める。その時俺の目の前を一匹のネコが通り過ぎる。そいつはグレーのトラで、俺はなにもしてないのに、腕に傷をつける。星五は俺のケツから、まだ思いっ切りたったままのペニスを抜いて、障子を開けるとトラを廊下に追い出す。俺は思わず、その傷を舐めると、血が少し出てる。星五が、

「輝生!」

って、怒鳴る。あの子まだいたの?

「悪いな、あいつにはよく言っとくから。嫉妬してる。」

俺はそれがネコのことか、少年のことか、両方のことか、よく分からない。星五は、

「海帆のイく時の顔が見たい。」

そう言って、俺の身体を仰向けにして布団に寝かし、俺の足を広げてまた自分のペニスを入れ直す。俺はまだ自分のを触ってたんだけど、彼が俺の手を外して、自分の大きな手で触り始めて、俺は彼の手が触れるだけで、もうイきそうになって、そしたら彼の動きが速くなって、暫くして彼がイって、彼が手と口で俺のをイかせてくれて、俺は腕の傷を見て、

「俺って歓迎されてない?」

自分でもそれがネコのことなのか、少年のことなのか、よく分かってない。星五は隣の部屋に行って、少年と話しをしている。なにを言ってるかは分からないけど、星五が一方的に話してる感じ。そんなに怒っている風な喋り方ではない。星五は俺のところに来て、傷の手当てをしてくれて、

「輝生にはちゃんと家があるんだけど、親が離婚して、母親が男引っ張り込んで嫌なんだって。」

星五はため息をついて、

「その引っ張り込んだ男の一人にヤられたんだって。俺には懐いてるんだよな。」

「俺は構わないけど。」

構わない、ってどういうこと?自分で言ってて分からない。あの子と星五は出来てるんだろうな、あのバーでトイレの同じ個室から出て来たの見たから。ヤる以外にあんなとこに一緒に入ってる意味ないし。俺が、

「俺は構わないけど、もし星五があの子のこと好きなんだったら。」

ああ、そういう意味か、自分で言ってみてやっと分かる。星五が、

「お前、時々そういう言い方する。」

「どういうこと?俺どんな言い方した?」

「諦めてる、っていうか。どうなってもいい、っていうか。そんな言い方。」

「自分では意識してない。」

「じゃあ、お前、俺のこと好きなの?どうなの?」

「星五のことは好きだけど、もしあの子が星五のこと好きなんだったら。」

「ほら、そういう言い方。俺のことそうやって諦めるのか?そうじゃないんだよな、お前のは。人生諦めてるんだ、お前のは。」

考えてみてもよく分からない。俺って人生諦めてんの?前にも誰かに言われたことがある。いつ?誰に?覚えてない。

「お前、俺のこと誰にも渡したくない、ってほど好きになってみろ!自分にも大切な人生がある、って!」

「そういう考え方はしたことがない。」

「そうだよな。お前はそれでいいかもしれないけど、じゃあ、俺はどうなんの?俺のことはどうでもいいんだろ?」

「星五がどこかに行ってしまったら、俺は悲しいよ。でも俺にはどうにもならないことだし。」

「輝生、今15だけど、俺がどんなに突き放しても、絶対に諦めない。」

やっぱり二人はそういう関係?悲しいけど、俺にはどうにもならないことだし。俺は傷付きたくない、って訳じゃない。今まで随分傷付いてきた。

「最初から星五とは、友達になろう、って言ってたし。」

「じゃあ、ほんとに俺の気持はどうでもいいんだな?」

「なんの気持ち?」

「俺がお前のことを好きだという気持ち。」

人の気持ちが分からない。俺のことが好きだって。でもそれどのくらい本気で、どのくらい長続きするもんなの?俺には人の気持ちを受け入れて、それに耐えられるほどの強さがない。でも自分は弱くもない、それは知ってる。星五のことは好きだけど、俺には彼を自分のモノにするだけの、人を押しのけてまで自分のモノにするだけの情熱がない。

「海帆、なに考えてる?」

「俺、人を押しのけてまで誰かを手に入れよう、っていう情熱はない。でも星五のことは好きだし、星五の側にいると強くなれる気がする。」

10

それから星五と俺は、インストラクターと身体を鍛える俺、の関係になって、内緒で時々セックスはしてたけど、まあそれは時々で、星五は俺の写真を撮り続けて、それをビフォー、アフターでジムの宣伝とかに使うとか言っている。上手くいけばの話しだけど。俺は水泳は昔から好きだから、それは水泳のインストラクターの人についてやってて、星五は忙しいから、ジムの清松さん、っていう人についてマシーンとか教えてもらっていた。清松さんはイケメンで、当たり前だけどいい身体してて、星五より身体つきも話し方も柔らかくて、最初俺に会った時、やっぱり俺があんまり女っぽいからビックリして、この身体をどうやって男っぽくするか、全くイメージが湧なかったらしい。今、外国のファッションモデルでも、アンドロギュヌスっぽい子が出て来てて、有名になった子も何人もいて、その中でも何人か身体はすごく鍛えてて、でも顔は女みたいで、長い金髪で、そういうのがいいって、清松さんに色々写真見せたりとかして、やっと彼も少しイメージ湧いて来たみたい。走ったりしてる時はいいんだけど、泳いでる時はよくジロジロ人に見られた。あれってほんとに男?って感じで見られた。そんな風に見られなくなったら、一段階成功ってこと。マシーンに乗ってる時はよく宿題持ち込んでて、指揮法のオーケストラのフルスコアをマシーンに乗っけてやってる時は、さすがに清松さんにも笑われた。彼には食べるモノとか色々指導してもらって、ほんの少しずつ二人で出掛けたりもするようになって、彼は俺が星五となんとなく繋がってるのは知ってたから、交際を申し込むとかそういうのはなかったけど、俺としてはインストラクターがこういう優しいタイプでよかったな、って思ってた。あんまり体育会系じゃ、俺もどうしていいか分かんなかっただろうし。一カ月経って、また写真を撮った。この時はちゃんとプロの人が来て撮ってくれた。

11

4カ月が経った。写真は毎月撮っている。俺、どうなんだろ?少しは進展してるのかな?その日も俺、音楽聴きながら指でピアノ弾くマネしながらマシーン使ってて、清松さんに、

「海帆、なに聞いてんの?」

って、聞かれて、

「ベートーベン。明日のピアノのテスト。」

「明日なんだ。大変だね。」

「大丈夫、もういっぱい練習したから。」

「これ終わったらどっか行かない?」

「分かった。じゃあ、ピアノあるとこに行こう。人前でやったことないから、この曲。」

清松さんが、ピアノのあるバーに連れてってくれた。表参道のお洒落なジャズバーで、ピアノも完璧ジャズ用に調律してあって、笑ってたら、彼は、

「俺、ピアノのことは知らないからね。」

って、笑って。それで俺がそのピアノでベートーベンを弾いてたら、通りを歩いてた人まで中に入って聴いてくれたり、楽しかった。俺の指は相変わらず時々飛ぶけど、そんなこと、どうでもいいくらい楽しかった。俺が、

「俺トレーニングするようになってから、気持ちも元気になってきた。ピアノものびのび弾けるようになった、って教授にも言われた。ほら、俺の傷。」

「これね、ひどいね。」

「誰かにやられたの、これ。でもね、俺そんなにもう気にならない。ほんとは傷治ってるんだって、音が飛ぶのは、心の問題なんだって。」

「人間の身体と心って複雑に結びついてるからね。」

そう言って、清松さんは俺の手の傷を指でなぞる。俺がくすぐったくて笑って、

「もう俺がプールにいても、誰も俺のこと、男かな、女かな、って変な目で見ないよ。すごい、これは。」

「腕と胸に筋肉付いてきたもんね。」

「うん。これも清松さんのお陰。顔付きも変わった、って星五が言ってた。」

「俺は前を知らないから。」

「俺ね、星五にあった時、彼氏に振られて泣いてた時だったから。」

「そんなことがあったの。」

「今、俺のこと振るバカがいたらね、殴る。」

「殴る?」

「そう。殴れると思う?この腕の筋肉で。」

「殴れるけど、だめだよ、殴っちゃ。」

「なんで?」

「人を傷つけてはいけない。」

「あ、それ星五も言ってた。」

「君と社長って、どういう付き合いなの?」

「俺と星五?なんだろ?」

「考えないと分からない関係?」

「難しいんだよ。星五のことをすごく好きな子がいるの。で、俺その子と張り合うつもりないんだけど、時々その子に隠れてセックスしちゃうんだけど、ま、そのくらいの関係。」

「正直。」

「まあ。」

「君がそうも正直なのは、君がアーティストだから?」

「多分ね。でも俺、他に好きなヤツできたら、星五なんてとっとと捨てるから。」

「いるの?そういう人?」

「いない。」

「俺、どう?」

「ええ、清松さん?誰かいるでしょ?貴方だったら。」

「いないよ。」

「清松さんのいいとこはね、スポーツ関係の方にしては、優しいとこ。だから星五が俺にって、多分。」

「社長の話しはやめようよ。俺といる時は。」

「分かった。ゴメン。じゃあさ、俺達ちょっとキスしてみようよ。どんな感じか。」

最初だから俺達すごくぎこちなくて、笑いながらのキス。彼が、

「どう?」

「なんかよく分かんない。」

「よく分かんないというのは、キスがいいかどうかよく分かんないの?それとも、俺のこと好きかどうか分かんないの?」

「じゃあ、今度は第2楽章を弾いてくるから。」

って、俺は席を立って、ピアノを弾いていた。この曲、Appassionata。明るい曲、ベートーベンのソナタにしては。清松さんが、

「素敵なピアノだった。腕に筋肉ついてから弾き方変わった?」

「それは自分では分からない。明日教授に聞いてみる。」

それからまた俺達、ぎこちなくもキスして、俺が、

「朝早いから帰る。でも貴方には、また明日会えるね。」

って、大通りに出た。まだ空は少し明るくて、今、3月。あれ、やだな。ここ原宿なの忘れてた。この辺必ずいるんだよな。俺はまた清松さんのいるジャズバーに逆戻り。

「海帆?」

「あのね、この辺通ると、必ず変なのに追いかけられるの。」

「変なの?」

「俺のことモデルにしたいって。俺いつも勉強が大事だから、って言うんだけど。」

「ああ、あそこでウロウロしてる人?」

「そうそう、あの人。さっきからついて来る。星五はいつも、こいつはうちで鍛えてるから、って。」

「分かった。一緒に出よう。」

よく見たら、その男、前にも見たことある。そいつが、

「海帆さんでしたよね。もう一回話しだけ聞いて欲しいんですけど。」

清松さんが、

「海帆はうちで今トレーニングさせてますから。」

そしたらそいつ、なんかPC を取り出して、

「うちのエージェンシーは、今日本で売り上げナンバーワンで、他に行かれる前に貴方をプロモートしたいんです。」

その人、怪しげな業界っぽい雰囲気は醸し出してるんだけど、頭は悪くなさそう。

「海帆さん、これみんなうちでやった仕事なんですけど。」

って、見せてくれて、確かに俺みたいに、そこまでファッションに興味なくても、見たことあるのがいくつもある。俺が、

「前にも言いましたけど、学校忙しいし、バイトもあるし、無理ですよ。」

「うちで仕事した方が能率的です。バイトそんなにしなくてすむし。これ今うちで働いてもらってるモデル達なんですけど、海帆さん、とても中性的で、今までいなかった雰囲気で。」

「あ、この人いいな、この頼潔っていう人。この人が俺とデートしてくれんなら、俺お宅に入っていいですよ。」

俺、この時は完璧ふざけてたんだけど。その人はマジで、

「デートですか?デートだけでいいんですね。別に寝なくても。」

俺がまたふざけて、

「違うよ。デートなんてしなくていいから。寝られれば。」

「ほんとですか?頼潔に聞いてみますよ。でもなんで頼潔なんですか?」

「俺のタイプだから。でも、マジで聞いてくれんの?じゃ、連絡して。」

清松さんが、面白がって彼のジムの名刺渡して。そしてそのエージェンシーの人は嬉しそうに行ってしまった。清松さんは、

「社長にばれたらやばいかな?」

俺は、

「バレないバレない。バレたって、やましいこと無いし、ってあるか。」

それで清松さんが、駅まで送ってくれて、俺はまさかほんとに、その頼潔とかいうモデルに会うことになるとは夢にも思わず、テストの準備も完璧だし、清松さんとの、ちょっとくすぐったいキスのことも思い出して、楽しく家路についた。

12

原宿で会った、モデルエージェンシーの男、清矢とかいう名前で、数日後ほんとに連絡を寄こした。

「海帆さん、俺、頼潔と話しつけましたから。」

「え、マジで?」

「はい。」

「俺と寝てくれんの?」

「そうです。」

「じゃあさ、ついでに、俺ね、前から泊まってみたいホテルがあって。」

「どこでも言ってください。」

「マジでいいの?」

「はい。どこのホテルですか?」

「あのね、品川の海の近くに、ホテルPVC、っていうホテルがあって、俺の理想のシナリオだと、まず、最上階のバーで、しっとり飲んで、部屋は一番高いスイート。」

「いいですよ。予約入れておきますから。海帆さん、いつがいいですか?」

「いつでもいいよ。トレーニング終わってから行くから、7時過ぎくらい。」

「分かりました。」

「楽しみだな。ありがとう。」

清松さんと顔を見合わせて笑って。清松さんが、

「海帆、ほんとにその人と寝るの?」

「どうだろ?そんなことよりね、そのホテル、クラシックミュージック界では有名なの。それをプロデュースした人が有名な音楽家で俺、一度でいいからそこに泊まってみたかった。」

「高いホテルなの?」

「高いと思うよ。知らないけど。地下にね、素晴らしい音響のコンサートホールがあるの。」

俺の憧れのホテル。ああ、楽しみ。その男は別にどうでもいいんだけど。一人でもいいから泊まってみたい。

13

俺はバーでしっとり飲んでいた。有名なピアノがバーに置いてある。これが日本で、12を争う最高級のピアノ。俺も一度でいいからこういうの弾いてみたい。最上階の夜景も目に入らないくらい、俺はそのピアノばかりを眺めていた。30分くらい約束の時間を過ぎて、それらしいのが来た。キョロキョロ客を見てるが、俺には全然目もくれない。面倒くさそうなヤツだな、と思いながら、俺は席を立ってそいつの方へ歩いて行く。

「頼潔さん、ですよね。」

「え、君なの?」

って、素っ頓狂な声で。

「なんでですか?」

「俺、女とヤったことないけど。」

「俺、女じゃないけど。」

「でも、ここまでだと、女とヤってんのと一緒だろ?」

俺、今夜は憧れのホテルに泊まれる、って思って、カッコいいスーツにカッコいいネクタイして来たんだけど。俺達バーのカウンターに座った。コイツ見た目は確かに俺のタイプだけど、性格に問題ありそうだな。星五を10才若くした、って感じ。

「貴方、確かに俺のタイプだけど、性格に問題ありそう。俺のこと、女、女って。」

ちょっと腹立って、そいつの手を取って俺の股間に触らせてやった。そしたら、そいつが、

「まーな、女とヤれって言われるよりいいかもな。」

「別に嫌だったらヤらなくていいし。」

「俺と寝たい、って話しじゃなかったのか?」

「俺このホテルに泊まりたかっただけだし。」

「君、化粧してるだろ?」

「してないです!」

「髪だってこんなに長いし。俺たつかな?」

俺マジでそれ聞いて、腹立って、バーに置いてあったハサミを手に取って、自分の髪切ろうとしたら、そいつが、俺の手からハサミをもぎ取って、

「なにバカなことしてんだ!」

「あんたに興味なくなったから!一人で泊まるから!」

「そう言うな。悪かった。君みたいに若いの初めてだから。なにか飲もう。なにがいい?」

ほんとは少し甘ったるいカクテルが飲みたかったけど、やめて、ジン・トニックを頼んだ。俺がやっと少し落ち着いて、考えてみたら、前にもこんなことがあった。みんなに女みたいだって言われて、それは女みたいに生まれた俺のせい?俺の過ち?神様、お願い。俺を罰して。急に心に浮かんだ。これって、なに?

「俺みたいに若いのが初めてだったら、いつもは幾つくらいの人と?」

「年下ってことはないな。営業だと。」

「貴方、お幾つなんですか?」

「俺は、28。君は?」

18。」

「なんで俺と寝たいの?」

「プロフィールの写真見て。タイプだな、って。」

「俺、今どんな写真載ってんのかも知らない・・・これと、これと・・・これか。」

俺が彼のケータイ覗いて、

「ほら、この髪ボサボサで、タバコくわえてるのがカッコいい。」

「これがいいんだったら、タキシードなんか着て来なきゃよかった。」

「あ、タキシードも素敵です。」

「調子いいな、君。」

「あの、さっき営業、って言ったのは、どういうことですか?」

「君もそうだろ?俺と寝たいんだろ?それは営業だろ?」

「俺はそうじゃないよ。貴方が嫌なら俺は無理に寝るつもりないし。」

「でも、エージェンシーに行けって言われれば。」

「そしたら誰とでも寝ないといけないんですか?俺とはただのデートだよ。少なくとも俺はそのつもり。」

「清矢にはそういう風に聞いてない。どういう話しになってるの?」

「その清矢さんっていう方が、俺のことモデルになれ、ってうるさいんで、俺が冗談で、じゃあこの頼潔さんと寝られるんなら、って。冗談だったんですよ。ゴメンなさい、俺の冗談に付き合わせて。」

「いいけど、別に。じゃあ、どうすんの?うちに入んの?」

「俺、でも営業とかできそうにないし。」

「営業は俺みたいに売れなくて、金欲しいヤツがやることだから。」

「俺、でも学校忙しいし、バイトもあるし。」

「じゃあ俺達なにしに来たの、今夜ここに?」

「俺はここのピアノ見に来たの。俺の憧れの。」

「そのピアノがなんでそんなに特別なの?」

「日本で多分、一番いいピアノ。俺も今にあれが弾けるようになりたい。」

「弾けばいいじゃん。誰も見てないし、今。」

「あれに触るにはオーディションとか、いっぱい、いっぱい、頑張ってやらないとダメなんです。」

「誰も分かんない、ってそんなこと。」

「えー、そう言われたら、そんなような気がしてきました。」

「弾いてみろ。もしダメなら誰かが止めるだろ。」

俺はピアノに近付いて、鍵がかかってないのはさっき確かめた。さっき鍵盤を見てみたくて、蓋を開けてみたから。弾く曲は何年も前から決めてある。もしこのピアノを弾けることがあったら、ショパンのバラードのNo.1を弾きたいって。弾き始めるとピアノのことじゃなくて、曲のことで頭がいっぱいになる。俺はどういう風に弾きたいのか、弾いてきたのか。俺のピアノ人生の歴史。俺の人生、ショパンの人生。このピアノを作った人の人生。この音色を選んでピアノを作った人の人生。ピアノの周りに何人か人が集まって、俺の演奏を聴いてくれている。お願い、俺を止めないで、最後まで弾かせて。そう願いながら、でも最後まで俺は弾きたいように弾くから。もしそのために途中で止められたら?それでもいい、俺は最後まで弾きたいように弾く。もう少しで、最後まで弾ける。少しテンポが速くなってしまった。少しくらいなら、きっとショパンは許してくれる。最後の30秒、20秒、10秒、5秒、よかった、これでお終い。最後まで弾けた。終わった途端、誰かが突然、俺の右手を強く掴んで驚いた声で、

「この傷はどうした?」

見たことのない、初老の男。側にいた頼潔が、

「すいません、俺が弾けって。」

初老の男が、

「いいんだ、それはいいんだ。」

そしてその人はバーの奥へ消えて行った。このホテルの人なんだ。どうして俺の傷のこと?このピアノがあまりにも美しくて、弾きやすくて、俺は自分の傷のことなんて、一度も思い出すことなく弾いていた。さっきの人はきっと、俺の指が時々飛んでいるのを聴き逃さなかったんだろう。頼潔が、

「よかっただろう?弾いて。」

「うん、よかった。ありがとう。」

俺と頼潔は、なんかの犯罪の共犯になった気がして、二人で笑い合った。頼潔が、

「部屋に行く?」

「貴方が決めることだから。」

「そうなの?」

「そうだよ。どうしたい?」

「じゃあ、行こう。」

彼は俺の手を引いて、エレベーターに乗って、

「なんだ、この部屋、一つ下なだけだよ。」

「俺が一番いい部屋、って言ったから。」

廊下の壁には、昔からの有名な音楽家の写真や、直筆の楽譜が飾ってある。俺がいつまでもそれを見てると、

「なに、それ?」

「これ、ショスタコーヴィチの直筆の楽譜。」

「へー。知らないけど。持って帰っちゃえば?」

「もう!」

って、俺が呆れて、それで二人で部屋に入って、あんまりゴージャスで広い部屋なんで、頼潔が、

「これで君がうちのエージェンシーに入らなかったら、清矢に殺されるな。」

「そうかな。どうしよう?」

「清矢に電話する?」

「あ、でも俺ここに泊まるのが夢だったから。」

「なんでここがそんなに特別なの?」

「ここはね、有名なクラシックの音楽家がプロデュースしたホテルで、PVCっていうホテルの名前が、ピアノとバイオリンとチェロのことなの。」

「俺なんてそんなこと関係ないけど。ここの酒、飲んじゃっていいのかな?」

「いいんじゃない?」

「すごい、いい酒、こんな高そうなワインもシャンパンもあるよ。俺、営業でこんなすごいホテル泊まったことないな。」

「だからこれは営業じゃありません。」

「俺、今すごい事実に気付いた。」

「え、なに?」

「俺、君の名前知らない。」

「清矢さんに聞かなかった?」

「急に言われたから。」

「あんまり言いたくない。」

「なんで?」

「なんか言われる。」

「なんで?じゃ、なにも言わないから。」

「海って書いて、船の帆。」

「かいほ?」

「みほ。」

頼潔は、ずっと黙ってシャンパンを飲んでいる。俺が、

「どうしたの?なんで喋んないの?」

「なにも言わない、って言ったから。」

「いいよ、じゃあ、言っても。」

「みほ?名前まで女?俺、たたなかったらマジ、どうしよ?」

「今度は喋り過ぎ。俺の服脱がしてみて。」

「たたなかったらヤらないからな。」

「いいよ。」

ここで俺の4カ月のトレーニングの結果が。彼は俺を立たせて、スーツのジャケットを脱がしてきちんとハンガーにかけてくれる。彼が、

「君、俺より背が高いな。」

それからベルトを外して、またパンツをハンガーにかけてくれる。そして、

「俺、服好きだから、ちゃんとしないと。」

そして俺のネクタイを緩めながら、やっとここで軽くキスしてくれる。複雑な表情。俺の顔をじっと見詰めてる。俺のことやっぱり女だな、って思ってんのかな?多分。俺のシャツのボタンを外してる。全部下まで外して、まだ同じ複雑な表情。そしてシャツの前を開けて、それを脱がす。彼が、

「うわー、マジ?」

俺がゲラゲラ笑って、

「うわー、マジ?ってなに?」

「マジ、身体、男。においも男。」

俺が頼潔の股間に触ったら、立派にたってて、

「よかった。」

頼潔は自分も上半身脱いで、俺をベッドに横たえると、俺を抱き締める。そして、

「俺、付き合うのも、いつも年上だし、こんな若い子抱いたことない。」

彼は俺のトランクスをゆっくり脱がして、

「若いっていいな。綺麗な身体だな。」

いきなり俺のペニスの根本のとこを握って、上下に舌を這わせる。そんな風にしたかと思うと、彼は、

「君の身体、よく見せて。」

って、言って俺のことをベッドに座らせて、俺の胸や乳首に触って、俺の長い髪をどけて、首の線を指でなぞって、それから背中から抱き締めて、後から手を回して俺の胸に触る。

「こんなに綺麗だから、清矢がここまでする訳だな。」

彼がそんな風に焦らすから、俺は彼のパンツを脱がして、彼の硬くたったペニスに触って、先のところの溝に沿って舌で少し強めに舐めた。彼が、

「君、どうしたい?」

「俺はどうでもいいよ。」

「じゃあ、俺に入れてくれる?」

で、俺が彼バックから入れて、で、結局彼も俺に入れて、朝になって、また同じことして、服着て、別れた。

14

大学で、また旗田教授に呼び出された。

「こないだのテスト、よかったな。のびのび弾いてたもんな。」

「身体のトレーニング受けるようになってから、気持ちに余裕ができて、前みたいにどうでもいいことで泣いたりしないし。」

「カウンセリングの調子はどうだ?」

「はい。あの先生、音楽のことよく分かるから、俺の言ってる意味も理解してくれるし。それよりね、こないだ俺、ホテルPVCのピアノ弾きましたよ。ショパンのバラード。」

「え、どうやって?」

「どうもこうも、そこにあったから、蓋開けて弾いただけです。」

「よく、なんにも言われなかったな。」

「あ、そういえば、弾き終わった時に誰かが来て、俺の手掴んで、この傷はなんだ!って。その人ホテルの人みたいだった。ちょっと年取った感じの人。」

「多分、その人があのホテル、プロデュースした伊星さんだよ。」

「え、ほんとに?じゃあ俺が見た写真は、大分前のなんだ。その人、俺の指が飛ぶのに気付いてた、ってことですか?」

「分からんな、それは。もしかして、そんな傷があるのによく弾けた、ってことかも。なに弾いたって?」

「ショパンのバラードNo.1です。ずっと前からあのピアノで弾いてみたくて。」

「ちょっとそれ弾いてみろ。」

教授と一緒にあいてるピアノ捜して、弾いてみた。この曲長いんだよな、9分とかそのくらい。自分では上手く弾けた、って思うんだけど、教授は、

「よく弾けた。指は確かに、ほんの微かだけど飛ぶ箇所かある。でも決まった場所だから、そこんとこ中心に練習してみればいい。」

カウンセリングの大和先生も、この頃、海帆は明るくなった、って言ってくれる。

「君が勉強忙しいのにジムに通う、なんて言ってた時は正直どうかな、って思ったけど、よかった。そのモデルの頼潔さんとは連絡取ってんの?」

「全然ですよ。俺、勉強忙しいし。どっちみち俺、ケータイ持ってないから、俺はなかなか発見できない人間なんで。」

「なんで持ってないの?」

「だから、ケータイがあると誰かが電話かけてくるでしょう。」

「そうするとなにかマズイことでもあんの?」

「はい。喋りたくない時に、かかって来るとやだし。」

「出なきゃいいでしょ?」

「そうじゃない。俺が人と繋がってる、っていう感じがやなんです。ネコだってイヌだってケータイなんて持ってないし、それについ数十年前には、誰もケータイなんて持ってなかった。でも誰も不便に感じなかった。」

「家のネコにケータイ持たせたいな。時々いなくなる。でもメールはできるんだろ?」

「メールもね、あんまりチェックしないし、チェックしても開けて読まない。」

「家の電話はあるんだろう?」

「ある。先生に教えたヤツがそれですよ。家に電話かかってきても、絶対出ませんけど。」

「だからいつも留守電なんだ。」

「そう。留守電のメッセージも全部は聞きません。」

「仲のいい友達からかかって来たら?」

「出る時もあります。たまにですけど。」

「不便な人だな。」

「そのモデルエージェンシーの清矢さんがジムまで来て、不便な人だって、言ってたらしいです。」

「なにしに来たの?」

「契約書にサインしろ、って。」

「どうすんの?」

「星五に全部任してあります。」

「ああ、ジムのオーナーの。」

15

頼潔が、ジムにやって来た。俺の泳いでるプールにやって来て、

「お前を捜すのえらい苦労した。」

「どうやって見付けたの?」

「誰にも言うなよ。清矢のデスク開けてファイル見た。」

「なに?俺になんの用?」

「お前まだサインしてないんだって?俺がなんかしたんじゃないか、って。」

「それについては、全て星五さん、って言う人にまかせてあるから。」

「誰それ?」

「ここのジムのオーナーで、俺って一応ここのジムの所属になってるらしいよ。よく知らないけど。」

俺は、プールに飛び込む。

「お前、適当だな!俺の身にもなってみろよ!」

「一緒に泳ごうよ!」

「実は俺・・・」

「なに?」

「泳げない。」

俺が足を引っ張って、彼を水に落とそうとする。

「やめろ、このスーツはドルチェ&ガッバーナなんだ!」

俺は笑いながら水をかける。彼は走って逃げる。俺が水から上がると頼潔はまだそこらにいて、俺のことを待っている。星五が俺にタオルを投げて寄こす。俺が星五に、

「あのね、あそこにいる人、俺がサインしないと困るらしいよ。」

「あの人さっきから、あそこで何してんのかと思ったら、海帆の知り合い?えらいイケメンだな。」

「例のモデルエージェンシーのモデルさん。どうすんの?俺達、サインするの?」

「お前はどうしたい?」

「俺はね、勉強だのバイトだの、忙しいから。ピアノの先生は自分の勉強にもなるでしょ。だからやめたくないし。」

「なるほどな。」

「でもあそこにいる彼、頼潔っていうんだけど、俺ちょっと世話になって。」

「世話?」

「俺が泊まってみたかったホテルに一緒に泊まってくれて、憧れのピアノも弾けたし。彼のお陰で。」

「ホテルに一緒に泊まったの?」

「頼潔が一緒に泊まってくれたら、サインする、って言っちゃって。冗談だったんだけどね。清矢さんが本気にして。」

「お前等のやることは理解不能だな。弁護士雇うから、それまでサインは待ってもらえ。」

俺は、頼潔の方へ行って、今のことを伝えようとしたんだけど、俺の髪や身体はまだ濡れてて、彼は、

「やめろ!俺に触るな!早く着替えて来い。」

「じゃあ、触らないから、キスだけして。」

って、キスしてもらった。星五はなんか変な顔して見てた。

16

俺がやっと着替えて、頼潔と一緒にジムを出ると、頼潔は、

「さっき海帆と話してた人、すごいイケメンだったね、身体も完璧。あれがオーナーの人?」

「そう。星五。」

「俺もイケメンだし、身体もいいと思ってたけど。上には上がいるもんだ。」

「え、でも頼潔、俺のタイプだし。」

「今度、あの写真みたいなカッコの時、デートしよ。」

「ほんと?嬉しい。今、やっちゃおう!髪ボサボサに。」

「これは今日の撮影用で1時間以上かかったんだから。」

「いいじゃん、やろう。」

「ダメダメ、触るな!」

「面倒くさい男。」

「それより、サインは?」

「星五が、弁護士雇うって。」

「海帆、まだ少し髪が濡れてる。風邪引くなよ。」

「へー、俺のこと心配してくれるんだ。」

「うちの大事なニューフェースだからな。」

「まだサインしてません!」

「でも、するんだろ?俺にも立場ってものが。」

「そうだ、これからまたあのホテルのバーに行こうよ!」

「いいな。近いし、こっから。またピアノ弾けるかも。」

まだ時間も早いし、平日だったこともあって、バーには人影もまばらだった。俺はキョロキョロ辺りを見まわすと、またピアノに近付いて行った。そしたら今日は蓋に鍵がかかっている。頼潔が、

「この間は運がよかったんだな。まあ、折角来たんだし、ゆっくりしよう。」

って、二人で飲み始めた。今夜は綺麗な夜景も目に入って来る。しばらくして、ピアノの音。あれ、誰が弾いてんの?って見たら、こないだの初老の男性。あの人がほんとに伊星さんなのかな?伊星さんは確か作曲家、ピアニストじゃないはず。確かに、パラパラピアノを弾いては、五線紙になにか書いてる。なにか難しい顔をして、話しかけるような雰囲気じゃない。俺と頼潔はそこを抜け出して、頼潔のマンションに行った。

「頼潔、いいとこに住んでるじゃん。」

「ルームメイトいるけどな。どっちもあんまりうちにいないし。」

「彼氏?」

「全然。」

「あ、このビール、ルームメイトのヤツだけど、飲んじゃお。」

飲みながら、頼潔に上脱がされて、下も全部脱がされそうになったから逃げて、俺が新しい、可愛いプリントのブリーフでウロウロしてたら、彼に捕まってキス責めにあった。二人でベッドに座っていたら、そのルームメイトが帰って来た。

「頼潔、いるのか?まったく、どういうこと?今時ケータイ持ってない人いるんだな。」

聞いたような声。俺は頼潔の後ろに隠れた。清矢さんがいきなりドアを開けて、

「頼潔、もし海帆さんのサインもらえなかったら、お前のせいだからな。」

「おっと、失礼、お客さん?」

清矢さんはまたドアを閉める。頼潔が自分の部屋から出て、

「清矢、今取込み中だから、ちょっとコンビニとか行ってくれば?」

「やだよ、もう俺、疲れてんだから。お前こそサッサとヤって、あとは静かにしてくれ。」

頼潔が戻って来て、

「どうする、海帆?」

って、俺に囁く。

「いいんじゃない?サッサとヤろう。」

清矢さんが、

「頼潔!また俺のビール飲んだだろ!」

「ゴメン!」

頼潔が叫んで、俺の可愛いブリーフを脱がして、あまり素早い脱がし方だったので、俺が思わず大きな声を出す。彼はすかさず俺のペニスに触る。これが、サッサとヤってる、ってこと?コイツとはいつもどっちが入れる、でもめるし。それでまた二人でごちゃごちゃ話し声になる。とうとう俺が彼にバックから入れて、そしたら急に俺のタイプの、頼潔のプロフィール写真が頭に浮かび、一回俺のを彼から抜いて、彼の頭をあの写真みたいにボサボサにしてキスして、それから彼を仰向きにして足広げて、俺のペニスをまた入れ直して、俺があんまり大声でよがるから、頼潔が、

「しー、海帆。」

って、言いながら、俺があんまり速く出し入れするから、彼も大きな声を出し始めて、やっぱり筋力付くとセックスも激しくなるな、って思いながら、彼のペニスを握って、俺が興奮して、それを色んな風に触ってたら彼がイって、それからすぐ俺もイって、俺が、

「頼潔!」

って、叫んで夢中で抱き付いたら、おバカな頼潔が、

「海帆!」

って、叫んで俺のこと抱きしめて、直ぐに清矢さんがドアを開けて、

「海帆?」

頼潔が、

「あ、いっけね。」

俺は咄嗟に頼潔の後ろに隠れる。清矢さんが、

「海帆さんですか?」

意外にも頼潔が、俺をしっかり隠してくれる。頼潔が、

「いいだろ、今は。こんなタイミングだし。」

そしたら清矢さんが、

「こんなタイミングじゃないと、捕まらないだろ?」

頼潔が、

「えっと、なんだっけ?あのジムのオーナーの星五さんっていう人が、弁護士雇ってサインするって。」

清矢さんが、

「お二人の泊まったあのホテル、うちが幾ら払ったか、お教えしましょうか?」

頼潔が、

「いや、俺達は、別に知りたくない。」

35万!」

清矢さんが、

「海帆さん、今ここに書類があって、他のエージェンシーとは契約しません、という、これにだけは、今晩、ここでサインしてもらいます。」

って、厳かに。俺は星五に電話して、それにはサインしてもいい、ということになり、サインした。そして俺はまた可愛いブリーフを穿いて服を着て、また頼潔といっぱいキスをして、うちに帰った。頼潔はおバカだけど、俺のタイプだし、セックスの相性はいいんだよな。当分キープしよう。でも付き合ってる訳じゃないからね。ほら、身体が鍛えられると、精神まで強くなって、男に振られて泣いてた自分が、遠い遠い過去のよう。

17

6月に入る頃には、俺のトレーニングもかなり俺達の目指したところまで、完成してきた。ボディービルダーになるつもりじゃないんで、その一歩手前くらい。ファッションモデルのエージェンシーだから、清矢さんとも話し合って、これからは現状維持、というところまで頑張った。星五も、清松さんも満足する出来。星五は完成した俺の身体とヤりたいらしい。星五は俺のモチベーション作ってくれた大事な存在。俺は星五とヤるんなら、またあの布団の上でヤりたい、と言った。ネコがいようが、あの少年がいようが、今の俺には関係ない。もう一度あの布団でヤって、俺がどう思うか?星五のことをどうしても欲しくなれば、俺は絶対諦めない。今度こそ。少年と星五がどうなってるのか、俺は知らない。知る必要もない。今、その子がどこにいようが、また隣の部屋にいようが、それも関係ない。俺は星五にもそう言った。

「俺が星五とセックスして、もし俺が星五を取りたいと思ったら、俺はもう誰にもやらない。遠慮もしない。」

星五は俺にたくさんキスしながら俺の顔を見て、俺の長い髪をどけて、頬や首や肩にキスしながら、俺のシャツを脱がしていく。そして彼は俺の身体に触りながら、

「ああ、男の身体、男のにおい。」

って、俺のパンツを脱がして、俺を布団に倒し、前と同じく俺の身体中にオイルを塗って、彼の大きな逞しい手で俺の身体中に触っていく。星五が、

「海帆の身体。俺達の作品だ。綺麗だ。」

って、言いながら、俺のペニスにもオイルを塗っていく。俺のペニスがどんどん大きくなっていく。それを星五が手でしごいていく。

「俺が星五に入れる。」

って、俺が彼のアヌスにオイルをたくさん流して、そして俺の硬く大きくなったペニスを、彼の中に入れていく。俺の身体中が快感で震える。星五は?彼はどう感じているのだろう?

「星五、星五、どう、俺の、どう?」

「気持ちいい、最高に。俺の作品。俺が作った。」

「星五、俺も感じてる。すごく、感じてる。」

俺の動きがどんどん速くなって、俺の新しい筋力が、強く速く動いていく。

「海帆、俺の中でイってくれ。」

「うん、俺、もうイきそう。」

俺が彼の奥深くでイって、そして俺は星五の大きくなった、ペニスを口に含む。俺は星五の顔を見ながら、彼がどう感じているか見ながら、彼のペニスを舌や唇や手で刺激する。彼が喜びの声を上げるまで。

「星五、俺、星五が欲しい。誰にも渡さない。俺の男になって。たった一人の。」

「海帆。お前、変わったな。前とは別人みたいだ。驚いてる。」

「星五、俺だけの男になってくれるのか?」

「海帆、俺はお前だけの男だ。」

俺はすごくハッピーで、この御祝いのために、なにかしよう、って話した。男と女だったら婚約?男同士だったら?みんなどうするの?なんか考えよう。あれっ、でも俺まだ18才。どうなんの?これ?

18

俺の、モデルデビュー。

「えっ、最初からこれですか!」

って、俺が叫ぶ。水着、っていうけど、ほんとにこれ水着なの?水泳の選手が着るようなヤツより、さらに肌が露出してる。布少なくていいから、メーカー儲かるよな、って考えているうちに撮影は進んでいく。撮影スタジオは品川にあって、で俺の憧れのホテルPVCのすぐ側。髪は最初はまとめて、頭の上くらいのとこで丸めて上げた感じ。それで何枚か、サングラスかけてまた何枚か撮って。なぜか顔のアップも撮って。それから髪をカールして、細かめのカールで少し風に飛ぶ感じ。ポーズは単純で、ほとんど普通に立っただけ。またその髪で、なぜか顔のアップもたくさん撮った。それからメーカーの人とフォトグラファーが相談して、どういう訳か、俺を床に寝かして、その人達が考えながらまたたくさん撮って、メーカーの人なんて最初俺に全然興味示さなかったのに、だんだん色々と意見を言ったりするようになって、なんか面白かった。その人結構若い人で、デザイナーさんか、オーナーさんか俺には分からなかったけど、真剣だった。真面目そうな人。俺のモデルエージェンシーからは、清矢さんが来ていて、俺が笑え、って言われた時、どうしても出来なかった時があって、その時だけ笑わせてもらった。清矢さん、

「あのホテルこの辺ですよねー。あ、あそこに見えますよねー。海帆さん。まだうちのモデルにもなってない新人に35万!俺の社長に許可取ってなかったし、君がサインしてくれなかったら、俺、マジで首吊るところ。よかったですね。もう少しで化けて出て来るところだった。」

って、ずーっとこんな調子で喋ってて、俺、ゲラゲラ笑ってて、他の人なんだか分かんないながら、みんな笑ってて、楽しかった。その後、その水着メーカーの人が、ちょっと話したい、と言うのでついて行こうとしたら、清矢さんが、俺のところに来て、

「嫌だったら行かなくていいんですよ。それ仕事のうちに入ってないし、ベッドに誘われたら絶対断ってください。君のことは、うちで大事にしたいんで。」

って、言われた。でもなんかその人真面目そうな人だったら、好奇心もあったし面白そうだし、ついて行った。そしたら彼は俺の憧れのホテルに連れて行ってくれて、俺が上のバーに行きたいって言ったら、一緒に行ってくれた。その人、名前は池島さん。若いけどその人、オーナーで、撮影の時はそうでもなかったけど、俺と二人の時はよく喋った。

「俺、実は最初君を見た時、全然ピンとこなくて、どうしよう?中止して別のモデルにしよう、って思ったんですよ。」

「俺も、今日が初めての仕事だったから。全然ピンとこなかったですよ。」

「それは清矢さんに聞いた。俺いつも君んとこのエージェンシー使ってるから、清矢さんのことは信頼してて。」

それで、今までやった広告の写真を見せてもらった。なんか白人が多い。

「君が初めての日本人だった。それも心配だったし。」

「これとか全然普通の水着じゃないですか?なんで俺だけ?」

「流行だからね。ゴメンね。」

「髪の毛おろしてカールにした時、やっと君でよかった、って思った。」

「それはよかった。俺、よく顔が女で身体が男って言われる。」

「その通り。非常に面白い。」

「面白いですか?」

「うん、面白かった。これが出たあと、どういう反応が出るか。」

「どんな所に出るんですか?」

「メンズのファッション誌と、インターネットの広告、それから水着を売ってる小売店にポスターを出します。」

「ふーん、色々ですね。」

「もうシーズン始まってるんで、一気に出します。」

「そうですか。」

「あの、さっきから気になってるんですけど、それピアノ弾く練習してるんですか?」

「ああ、これ?あそこにグランドピアノがあるでしょう?あれ有名なピアノで、世界に何台しなかない、ってくらいすごいヤツなんです。だから自然に、指が動いて。」

「ピアノ弾かれるんですか?」

「そう、俺、ピアノ教えてる。近所の子供達に。みんな生意気で、こないだも、俺ちゃんと聴いてんのに、先生ちゃんと聴いてるんですか?なんて、怒るヤツいて。」

「あのピアノ誰も弾いてないから、弾いてもいいんじゃないですか?」

「みんなそう言うんですけど、そういう簡単な問題じゃないんで。」

「ピアノも弾かないとダメになる、って聞いたことありますよ。」

「まあ、ダメだったら、誰かが途中で止めますよね。でもなに弾けばいいんだろう?池島さん、なにかリクエストは?」

「カッコいいヤツがいいですね。」

「カッコいいヤツ?」

俺の中でカッコいいと言えば、ショパンのエチュードNo.11。この前もショパンだったな、ま、いいか。今日は鍵もかかってない。よかった。どうやって弾こうかな、ってしばし考える。そしてなんと、俺の中で、今日はこの曲は弾きたくない、って結論が出て、じゃあどうしよう?なんにする?リストのハンガリアンラプソディー。この曲はいつかピアノの発表会で弾いて好評だった。明るい曲が弾きたいと思ったし。明るくてカッコいい曲。ピアノがいいからどんどん弾ける。心配することは何もない。この間みたいにピアノの周りに人々が集まって来る。みんなが楽しんでくれれば、俺はとてもハッピー。これも長い曲。楽しい曲だからいいよね。やったー!最後まで弾けた。それじゃあ、これでこの曲は終わり。バーの客やバーテンさん達が拍手してくれる。俺がお辞儀する。そしたらまたあの初老の男性が俺の右手を掴んで、

「ちょっと見せて。」

って、俺の傷に触って、

「よくこれであれだけ弾けるな。」

って。俺は、

「すいません、いつも勝手に弾いちゃって。」

「それはいいんだけど。君まだ随分お若いけど、学生さん?」

「はい。細川音楽大の一年生です。貴方、ほんとに伊星さんですか?」

「そうだが。」

「俺のピアノの教授がそうだろう、って。」

「誰に習ってるの?」

「旗田教授。」

「旗田祐樹?」

「そうです。ご存知ですか?」

「アイツは俺の作曲のクラスの落第生だった。」

「ほんとですか?」

「ほんと、ほんと。」

それだけ言うと、彼はまたバーの奥に戻って行く。そしたら、また回れ右をして俺のところへ来ると、

「君だったら、いつでもそれ弾きに来ていいから。」

19

3週間くらい経ってから、池島さんと、あのピアノが置いてあるホテルのバーで、待ち合わせた。今度こそ俺は、カッコよく ショパンのエチュードNo.11を決めて、池島さんも、ほんとにカッコいい、ロックみたいだ、って面白い感想を述べてくれた。彼は、

「君の広告、相当話題になってるんだけど、あれはCGで顔と身体が別人じゃないか、って。」

「なんか清矢にも聞きました。」

「だから、動画でもやろうよ、って。」

「動画ですか?」

YouTubeとかの広告。」

「えー。清矢はなんて?」

「そりゃ、もちろん、やりましょう、って。」

「まあ、そうでしょうけど。」

「それから、清矢さんに君のピアノのこと言ったんだけど、彼、君がピアノの先生、っていうのは知ってたけど、あんなにプロフェッショナルなのは知らなかったみたい。」

「プロフェッショナルになるには、少なくともあと3年半いりますよ。音大出るまで。」

「俺は素人だけど、音楽は好きでよく聴くから、俺にも演奏の良し悪しくらい分かるつもり。この手でよくあれだけ弾ける、ってこないだの人言ってたよね。」

「まだ指が飛んで、ちゃんと弾けてないんですよ。」

「俺とかは、そこまでは分からないけど。それで、清矢さんに聞く前に、君に相談したかったんだけど。」

「なんですか?」

「その動画で君にピアノ弾いてもらえないかな、って。」

俺がずっと沈黙しちゃって、池島さんは俺の顔を見て、

「水着とピアノをどう結びつけるか、っていう問題もあるんだけど。」

それでもまだ俺が沈黙してるんで、彼が、

「どうしたの?もし嫌なんだったら。」

「そんな、お世話になってて、嫌なんて。」

「でもそんなに考えてる。」

「例えば、どういう風に?」

「俺がなんとなく思うのは、リゾートでロケをやって、パーティーで君がピアノを弾く。」

「水着で?」

「その辺はね、まだ考えてない。」

そこで俺がちょっと笑って、

「いいですよ、水着で。」

「それでね、問題は、今度は君が本当に弾いてなくて、手だけ他の人のを使ってる、って言われるんじゃないか、って。」

「そしたら、また考えて、新しいの作っていけばいいですよ。」

それからまたしばらく、俺が黙ってしまって、彼が、

「君が納得できないなら、俺は無理強いはしないけど。」

「俺のピアノ、CMでちょっとだけ、とかだったらいいけど、人前で弾けるレベルじゃないんで。」

「弾いてるじゃない、ここで。」

「このピアノは例外。」

「そうなの?じゃあ、このピアノを使って、撮ろう。」

「無理ですよ、それ。なんかあったらヤバいです。」

「じゃあ、このピアノで君がここで弾いてるところを、撮影しよう。」

「それは多分、可能かも。ただ、俺が音大の一年生で、まだプロじゃないって、そこのとこちゃんとしないと。」

「情報って、独り歩きするから。」

「あと、この傷のこと。」

「なにがあったの?」

俺がまた黙って、池島さんが、

「もちろん、言いたくなかったら言わなくていいし。」

「すいません。それもあって、あんまりピアノ人前で弾きたくなくて。アカデミックにピアノ習った人なら、俺の手になにかあるって、すぐ分かりますし。」

「そうか、俺としては君に弾いてもらいたい。」

「少しだけだったら、多分問題ないと思うんだけど。」

「それ、誰かにやられたの?だとしたら相手のあることだから。傷害罪になったとか?」

「すいません。そこまでは。」

「言えないんだったら、いいんだ。なにか繊細な部分のある、話しだと思ったから、清矢さんに相談する前に、君と話したかった。」

「まだ学生で、バイトでピアノの先生やってて、プロフェッショナルとか、ピアニストとか、そういう言葉を使わなければ大丈夫です。多分。」

20

でも、世の中、そううまい具合に物事進まなくて、ただでさえ顔と身体が別人とか、勘ぐられていたところに、CMでピアノなんて弾いたもんだから、また変な具合に注目されて、ピアニストで売り出そうとか、CD出そうとか、色々来てる、って清矢さんに言われた。情報って独り歩きする、って池島さんに言われた通り。清矢さんは、

「社長は、なんでもやれって、無責任なことを言ってるけど、動画が出て、海帆の顔と身体が別人じゃない、って分かったら、今度は世間が、あれはほんとに君が弾いてるのか、って。」

「俺のピアノは、公衆の面前で弾くようなレベルじゃないですから。なん回も言ってますけど。」

「君がここまで綺麗な顔して、綺麗な身体して、その上ピアノが弾けるなんて、人々が信用してないと思う。そこで君が弾いて見せれば。」

「無理です。録音なら手のことも誤魔化せるし、なんとでもなりますけど。」

「ライブ、っていうのは。」

「不可能です。」

「じゃあ、CDを出そう。」

「でもですね、CD出したアーティストが、絶対ライブやらないっていうのは、無理がありますから。」

「俺はどうすればいいんだ?じゃあ、ピアノのCM?」

「それも、無理がありますよ。そこまで俺、上手くない。まあ、ピアノの先生なのは事実だから、ピアノ教室のCMだったら、いくらでもできますよ。」

「それだ!」

って、清矢さん、さすがにプロのプロモーターで、ピアノ教室の大手数社で取り合った結果、スポンサーが決まって、俺はとても楽しい仕事ができた。

21

その音楽教室のCMが出来上がったので、星五の家で二人で観た。ストーリーのあるCMで、小学校一年生くらいの男の子が、女の子に振られて泣いてて、ピアノのお教室で俺がその子に教えてて、

「俺も海帆先生みたいに弾けるようになれば。」

そして俺が、山のような女性達に囲まれて、華麗にピアノを弾いている、というもの。星五が、

「モデルっていうから、ファッション雑誌くらいかと思ってたら、意外な方向に行ったな。」

「ほんと、そうだよね。」

って、言ってて、すぐ持ち上がった騒動が、ピアノ教室のCMで俺の傷のない方の左手がアップになって、俺が婚約指輪をしてる。相手は一体誰だ、って。星五が、

「やっぱりダイアモンドはまずかったかな?」

「でも俺がこれが気に入ったから。」

一応似たデザインのペア・リングになってて、星五も左薬指にしてる。二人でずっと一緒にいよう、って決めた時に、お祝いに買ったペアの婚約指輪。ゲイのカップルは、よくしてるんだけど。でもダイアモンド付いてると、結婚指輪にも見えないし。左薬指にしてると、どう考えてもゲイっぽい?清矢さん曰く、彼は知ってて、撮影の時、なんにも言わなかったんだって。清矢さんが、

「話題性ですよ。海帆さん。」

「話題性って、どうすんの、その取材とか来てんの?」

「あ、こういうのはね、ほとんどのヤツは、無視していいんで、大手出版社だけやりましょう。」

「やりましょう、ってどうすんの?なんて言うの?」

「それは、海帆さんのお好きなように。」

「じゃあ、いいの?婚約者いますとか、彼氏いますとか、言っちゃって。」

「いいですよ。事実を述べてください。」

22

最初の週刊誌。記者のインタビュー。

「人様の子供さんを預かる、ピアノの教師がゲイだということについて、ですが。」

「はい。」

「コメントをどうぞ。」

「音楽以外のことは教えないですし。」

「なるほど。」

「俺のやったCMのピアノ教室では、20%売り上げが伸びた、って聞きました。」

「なんかつまんないですね、このインタビュー。」

「記者の方がそんなこと言っていいんですか?」

「だって、つまんない。昔からピアニストってゲイの人いましたよね?」

「そうそう。職業としては多いですよね。」

「海帆さん、なんかいい切り口ないですかね?」

「俺に聞くんですか?企画料取りますよ。」

「じゃあ、これ終わったら、一杯奢りますから。」

「それだったら考えよう。俺の彼氏ね、いい男ですよ。っていうか見た目とかもいいんですけど、性格とかがすごく男らしい。惚れたんです。年は随分上ですよ。」

「いいですね、その切り口。どうすればゲイの男にもてるか。」

「俺、実はね、名前も女だし、見てくれも女だし、全然もてなかったんですよ。ピアノ弾いてたし、女の子にはいつも、もててたんですけど、女の子と残念ながらセックスできないですから、わたくし。」

「そうなんですか?」

「はい。それでね、俺の婚約者、スポーツ関係の人なんですけど、俺あんまりもてないから、って言うか、振られて泣いてばっかいたんで、ある時彼に鍛えてもらおう、と思い付いて、それでこの身体になったんです。」

「それでその彼と婚約したと。ロマンティックじゃないですか!」

「まあ、そういうことですね。」

「いくつくらい年上なんですか?」

14才。」

「えー、ほんとですか?」

「海帆さん、18ですよね。それって犯罪?」

「俺、別に婚約してますけど、セックスした、って言ってないし。」

「なるほど。じゃあ犯罪じゃないですね。」

「信じる人、いないと思いますけど。男同士の場合ってどうなんですかね。やっぱ犯罪?」

「さあ?」

「なんか、また、面白くなくなってきましたね。」

「もう、ゲイというテーマ自体面白くないんですよ。」

「分かった、じゃあさ、貴方が、俺とキスして、どう思うか、やってみましょうよ。」

「なんでそういうこと?」

「だって貴方可愛いし、週刊誌記者の実体験。」

「分かりました。じゃあ・・・」

「・・・どうでした?」

「でも海帆さんの場合、かなり中性的な感じですから。」

「面白くないか。じゃあ、俺とベッドインして。あ、でもそれだと、俺のフィアンセから抗議が。」

「どうしよう?全然記事がまとまらない。」

「でもこれ、写真週刊誌でしょ?写真で見せるしかないでしょ。記事なんて、あんまり読まないんじゃない?」

「俺、失業したらどうするんですか?」

「じゃあ、とっとと写真撮って、それから考えましょうよ。」

「分かりました。」

「どういう風に撮るんですか?」

「さあ?」

「さあ、って誰が考えるんですか?」

「海帆さん、考えてくださいよ。」

「またですか?」

「フォトグラファーさんが決めるんじゃないんですか?」

そしたら、フォトグラファーさんは、

「私はヌードだって聞いてますけど。」

記者さんが、

「え、そうなんですか?」

で、俺が、

「ほら、やっぱり、適当に写真とっとと撮って、さっさと飲みに行きましょう。」

この時のフォトグラファーは、意外と芸術肌の人で、ヌードと言ってもアンダーウエアは付けてて、髪を上で結んだのと、長く垂らしたのと両方撮った。顔も笑ったのとシリアスなのと両方。かなり、メリハリのある撮影だった。記事の方は結局俺達、酔払って、セックス、セックス、オンパレード、って感じ。ゲイのセックス、ってなに?それに俺が自分の体験から述べる、って感じ。その時、一緒に載った俺のプロフィール。海帆(みほ)。18才。細川音楽大学ピアノ科1年生。バイトでピアノの先生をしてる。ファッションモデルはまだ新人。かなり年上の男性婚約者あり。結婚は2年後の予定。

23

2つ目の週刊誌の取材は、星五のジムの名前を大々的に入れて、俺のトレーニング、ビフォー、アフターというのをやった。女みたいと言われて、いつも男に振られて泣いていた頃。それから今。心身共に健康で、生活も充実。異色のファッションモデルとして注目されている。男性婚約者と2年後に結婚の予定。ハッピーな海帆は、音大生で、ピアノ科の一年生。ピアノの先生の仕事も続けている。多忙な18才。

24

3っつ目の週刊誌。ちょっと真面目な取材。アンドロギュヌスについて。アンドレア・ペジックやスタヴ・ストラスコなど、第一線で活躍している中性的なモデル達。それについて、ファッションの評論家が色々述べて、それから俺のインタビュー。

「外国のモデルさん達で、俺みたいに髪長くて、顔だけ見たら女性みたいな人達がいて、でも身体は鍛えてて、すごく男性的。そういうのにすごく憧れました。こういうのもありなんだな、って。それから専門家についてトレーニングしました。でもね、半年くらいですよ。」

「半年でそんな身体に?」

「専門家が何人もいて、スイミングのトレーナーも別にいたし。学校の宿題やりながらマシーンでトレーニングしたり。」

「大学でピアノを専攻なさってるんですよね?」

「はい。今1年生なんで、まだまだこれからです。」

「もし、どちらか選べるとしたら、女性になりたいですか?それとも男性に?」

「俺は女性になりたいと思ったことは一度もないですね。嫌でした。女みたい、って言われるのが。」

「婚約者の方は男性ですよね。」

「はい。」

「どんな方なんですか?」

「俺とはほとんど正反対、って感じ。スポーツ関係のビジネスマンで。男らしい人。」

「これからどんな仕事をしていきたいですか?」

「ピアノの先生は続けていきたいです。俺自身の勉強になるし。」

「では貴方のにとって音楽の方がモデルのお仕事よりも大事だと?」

「ピアノは、ずーっとやってきたんで。4才から。」

なんかそんな感じ。その週刊誌は写真も綺麗だったし、俺は気に入ってた。

25

それから、伊星さんから俺の教授、旗田先生に連絡が入った。伊星さん、俺の週刊誌の取材を見たんだって。そして俺がモデルやってる、とか注目されてる、とかそういうことを知って、ホテルPVCの広告やってくれないか、って。で、すぐ俺のエージェンシーに話しが回って、写真はスリーショット。1枚目が、最上階のバー。夜景が綺麗に見えた夜に撮った。俺がカッコいいスーツを着て、ネクタイが花柄だったり、少しフェミニンさは残してて、それで立ったまま、片方の手で鍵盤を触ってる感じ。2枚目が、晴れた日の昼間、俺がまた水着でホテルのプールでポーズ決めてるヤツ。濡れた肌がセクシー、みたいな感じ。3枚目が、前に俺が泊まった一番高いスイートで、俺が裸でベッドに横たわって、なぜか頼潔がタキシードを着て、窓の側に立ってて、手にはシャンパングラス。ベッドの上の、裸の俺を見下ろしてる感じ。すごく、いやらし気な感じ。その広告は国内だけじゃなくて、海外の旅行雑誌や、ネットで流されて、清矢さんが言ってたけど、いくつか海外のモデルエージェンシーから提携しないか、って言って来たらしい。でも俺は学校もあるし、まだウォーキングの練習もしてないし、ランウェイは無理だよ、って言ったんだけど。そしたら清矢さんにすぐ、ウォーキングの練習させられて、まだ国内のショーだけど、お高いブランドの、ランウェイをやった。なんかそれは刺激的で、勉強になった。その時のモデルで日本語話せる人、ほとんどいなかった。

26

伊星さんとも大分親しくなって、例のピアノも時々弾かせてもらってた。俺が、

「伊星さんもなにか弾いてください、たまには。」

「旗田になにも聞いてない?」

「なんですか?」

「俺はピアノが弾けなくなったから、作曲家になった。」

「えっ、ゴメンなさい。」

「いいんだ。知らなかったんだから。」

俺はこの人から、時々感じる、なにか寂しげなものには、気付いていた。でも、そんなに大きな悲しみとは。

「海帆さん、俺のために泣かなくても。」

「でも。」

「君には俺の気持ちが分かる、ってことかな?」

「はい。」

「今だったら、ひょっとして治るようなケガだったのかも。」

「今の医療でも、俺の心は治せません。手はもう治ってる。何度も手術して。でもまだ、ああやって音が飛ぶんです。」

「俺のはね、自分のせいだから。うんと若い時から酒が好きで、運転して事故って、腕をやられた。ほら、君のよりずっと長い傷だよ。」

そう言って、伊星は腕をまくって見せた。俺は怖くなって、身体が震えた。

「ゴメンね。怖がらせるつもりじゃなかった。それから俺、ますます酒飲むようになって、アル中になってみたり。

入院してみたり。出たり入ったり。」

俺にはこの人の心の怯えが分かる。

「今はちゃんとしてるんだから、君が泣くことはない、って。」

でも、涙は自然に出て来る。

「それで、俺が通ってた、クラシックのバーがあって、いつもピアノがかかると、俺は今の演奏はどうだ、こうだ、って文句つけて。当然、世界の有名なピアニストが弾いてるんですよ。レコードが出てるんだから。それから、そのバーのマスターに言われて気付いたんだけど、俺のはピアニストに文句言ってるんじゃない、って。作曲家に文句言ってるんだ、って。それで俺が、確かにそうだ。誰が弾いても、つまんない曲を創ったヤツが悪いんだ、って。」

「えー、じゃあ、だから?」

「そう、作曲家になろう、って。そのバーのマスター今でも友達だけど、ベートーベンに文句言うヤツ、お前だけだ、って。」

「そんなことがあったなんて。」

「だから、君にもきっと、転機がやって来る。なにもかも、上手くいく日が来る。人間って不思議なんだ。たった一言でいいんだ。それで人生が変わるんだ。」

27

秋になって、大学の勉強も大変になって、試験も多いし、そういうのに没頭してたら、なんと大学に清矢さんが現れて、

「海帆さんね、頼むからケータイ持ってくださいよ。」

「だってやなんだもん。」

「仕事がね、色々来てるんですよ。」

「今、忙しいからどうせ何にもできないし。」

「メールもチェックしないでしょ?」

「今度、伝書バトの訓練でもしますか?」

って、自分で言ったことが可笑しくて、ケラケラ笑ってたら、

「笑い事じゃないですよ。」

って、怒られた。

「明日、ピアノのテストがあるから、練習しないと。」

「メンズのファッションウィークに出ないか?という問い合わせが来てます。それは来年。ロンドンとミラノ。」

「俺、旅行嫌いだし。」

「これは選択の余地ないです。出てもらいます。」

「はい。」

「それからピアノの広告。」

「そういうのはやらない、って言ってあるでしょう?」

「それはドイツのピアノメーカーです。」

「なんで、そんなとっから仕事来んの?」

「それは、俺の手腕です。」

「無理だって。俺、ピアニストじゃないし。」

「これも選択の余地ないです。」

「そうくると思った。」

「こっちからプロモートして、来た仕事を断るバカはいません。」

「そういう仕事は出来ない、って言ってるのに、どうしてプロモートするんですか?」

「海帆さんのピアノの教授、という方に会わせてください。」

「なんのために?」

「貴方の可能性を聞いてみたいから。」

「じゃあ、試験が終わってから。」

「今日です!今です!海帆さん絶対捕まらないし。伝書バトの訓練も時間かかるし。」

俺達は校庭を抜けて、旗田教授の部屋を訪ねた。幸いだかなんだか教授はいて、清矢さんがそのドイツのピアノメーカーのことを話したら、教授は驚いて、

「よく、あんな老舗の有名どころから仕事来たな。」

清矢さんが、

「俺、プロですから。」

教授が、

「海帆みたいなレベルだと、一人前になるまであとたっぷり3年はトレーニングしないと。それでもコンサートピアニストになれるヤツは、ほとんどいない。」

俺が、

「またこの間みたいに、ピアノの先生、ってことでどうかな?」

清矢さんが、俺の言ったことを完全無視する。教授が、

「海帆の場合、手の傷のこともあるから、俺としてもちゃんと弾けるようになるか、コイツは俺の、賭けなんだ。」

その瞬間、清矢の目が、ギラリ、っと光る。

28

その後、できた広告のキャッチコピー。「悲劇のピアニスト海帆。手に傷を負った彼は再起をかけてトレーニング中。同時に指揮法と作曲の勉強を始めている。」写真はビックリするほどセクシーで、俺が上半身裸で、なんとグランドピアノの上に乗って撮ったもの。傷のある右手じゃなくて、左手が写っている。傷があるとショッキングだからかな?って、俺は思ってた。星五も驚いてて、

「あれだけファッション誌とか週刊誌とかに出てても、手の傷の話しは出さないように、気を使ってもらってたのに、それを前面に押し出すなんて。しかもあんな有名なピアノのメーカーが。俺だって聞いたことあるような。傷のことマスコミに詮索されないといいけど。」

それでもやっぱりそれは起こって、傷の原因は?それが起こったのはいつ?事故なのか?傷害なのか?だとしたら誰が?なぜ?俺の家族や、親せきや、昔の同級生まで、追い回されたらしい。俺のエージェンシーで、異例の声明を出して、「海帆の傷は事故によるもので、事件性は全くありません。」

俺の右手が写っている写真が、なぜかネットで流れて、なんかのドクターが、あれは鋭い刃物で切った傷だって。星五が、

「お前、いつか誰かにやられた、って言ってたよな?本気でお前の過去調べるヤツが出たら、犯人も知れるぞ。なにもないといいけど。」

俺には分からない。ずっと前に、俺の意識の底に封印してしまった出来事だから。俺はなにを聞かれても答えられないし、分かってるのは、俺が今、いい教授に恵まれて、一流のトレーニングを受けてること。いい生徒に恵まれて、楽しくピアノを教えていること。婚約者もいて、ハッピーだ、ってこと。カウンセリングの大和先生は、

「どうしてあんなピアノ宣伝に出たの?でも起きてしまったことを、私が言ってもしょうがない。君のことが心配だけど、私がどこまで相談に乗ってやれるか。そのうち、私なんかではどうにもならない事態が起こるかも。」

って、彼はやや悲観的。そこへ、俺の教えてるピアノ教室の発表会があって、前の時みたいに星五が来てくれた。

「お前が一般の観客の前でピアノ弾くの、あの広告以来初めてだから。なんだか生徒の父兄に見えないようなのも色々混じってるぞ。」

俺はまた最後に模範演奏で、またショパンのエチュードを弾いたんだけど、観衆から変な悪意とか好奇心みたいなのを感じて、音が何度か飛んでしまった。もちろん、素人の耳には分からないレベル。でもちょっとピアノをかじった人には分かるレベル。星五の車でうちまで送ってもらうはずだったけど、星五が、

「後の車が、ずっと俺達について来てる。どうするか?」

「ほんと?」

「この車の3っつ後からついて来る。今日はお前、うちに帰らない方がいい。俺の正体が知りたいだけなら、別にいいけど。」

なんか嫌な予感。俺のなにが知りたいの?俺はなにも知らないよ。

29

次の週に出た写真週刊誌で、思った通り、俺と星五がピアノの発表会で一緒にいるところが載ってた。「スポーツジムに咲いた恋。男性的な肉体と中性的な魅力を兼ね備えたモデル、海帆、18才のお相手は14才年上のジム経営者。」

だって。星五は、

「俺のことはどうでもいいから、お前はなるべく一人でいないように。学校でも仕事先でも。」

大和先生は、

「私はまだまだ、これから長い時間をかけて、君の心の傷に迫るつもりだった。でもそれがこんな風に世間の注目を浴びることになって、正直、少し急ぐ必要があると思う。」

「先生、でもなにも覚えてませんよ。前にも言った通り、気が付いたら病院にいて。」

「一番優先したいのは、君がピアノをちゃんと弾けるようになること。そのためにはどうしても、なにがあったのか、君が自分の封印を解いて、思い出さないと。」

その後、トレーニングに行くと、星五はいなかったけど、清松さんがいて、それから清矢さんが来た。清矢さんは、

「海帆。こんな風に君の過去が詮索されることになるなんて。俺もここまで世間がヒマだと思ってなかった。俺のせいだ。悪かった。ゴメン。」

「清矢さんは、良かれと思ってしてくれたことだから、俺は別になんとも思ってないよ。」

清矢さんは忙しそうに、バタバタ出て行って、俺は清松さんに、

「最近俺ね、なんかずっと後ろを振り向いてる。誰もいないのに。」

「ほんと?後つけられてないか不安なのかな?俺でよかったらうちまで送ってやるし、ずっと一緒にいてあげてもいいし。」

「ありがとう。ほらまた、俺、後ろ確かめた。誰もいないのに。」

「今の君なら、誰かに襲われてもかなり、自己防衛はできるはずだ。気持ちさえしっかりしてれば。」

俺、なにかに怯えてる。大学のランチタイムで、人がたくさんいる食堂で、急にいたたまれなくなって、そこを逃げ出した。ピアノの授業で、また急に、ここから出なければいけない、って命令みたいなのが意識の中に入って、一人教室を抜け出した。そして戻ることはなかった。旗田教授に呼ばれて。

「海帆、どうした?」

「分かりません。なんか怖くなって。」

「なにが怖い?」

「あの教室にいるのが。出ろ、って誰かに言われてるみたいで。声はしないんだけど。」

「そんなこと、前にもあったのか?」

「ランチの時、食堂にいられなくて。あ、それからいつも後見て、誰かいないか。」

「病院行った方がいいかも。大和先生は?」

「あんなピアノの広告に出たからだって。」

「今更言っても遅いしな。」

「さっきの課題曲、弾けるかどうかやってみよう。」

その時、左手はちゃんと動くんだけど、右手は痛くて全然動かない。どうしたんだろう?急に。手はとっくに治ってるはず。

「右手が痛い。」

「どういう風に痛い?」

「あの時みたいに。」

「あの時?」

「手を切った時。あの時みたいに、とても痛い。」

俺は左手で右手を押えた。そうすると、もっと右手が痛い。俺は思わず、悲鳴を上げた。大きく開いた、血が流れるような傷。そんな痛み。俺は、今あの時に戻ってる。ものすごく怖い。俺は、

「あの時、一体、俺はどこで、誰と一緒で、なにがあったの?」

「海帆?」

「分からない、思い出せない!思い出したくない!」

ピアノが弾けない。もう弾けないのかな?この先ずっと?俺は自分の後ろに、また人の気配を感じて振り返った。そこには自分がいる。まだジムでトレーニングを受ける前の、星五に会う前の、大学に入る前の、自分。なにかを訴えかけるような目。俺はまた悲鳴を上げて、呼吸ができなくなって、その場に倒れた。

30

気が付いたら病院にいて、最初は旗田教授が一緒にいてくれて、それから星五にかわって、俺は、

「振り向いたら、俺がいて、まだ星五に会う前の。星五とトレーニングして、自分の運命を変える前の自分。」

「海帆。今夜は考えなくていいから、ゆっくり休め。」

「そうだ、俺の右手。さっき痛くてピアノが弾けなかった。」

「まだ痛いのか?」

「今も少し痛い。さっきはもっと痛かった。まだ傷口が開いて、血が流れるような痛み。」

「ゆっくり休もう。」

「ベッドの下に誰かいる!」

俺は怖くて星五にしがみついた。星五がベッドの下を確かめる。

「誰もいないよ。」

怖い、なにもかもが怖いんだけど、一番怖いのは、この恐怖から逃げられない、ってこと。叫んでも、走っても、どうにもならない。星五にしがみついてると、涙があふれて来る。前にもこんなことがあった。星五に会ったばっかりの頃。俺は泣いていて、星五の肩に俺の頭を置いて。なんで泣いてたの?そうだ、あのバイオリン科のバカの龍聖に捨てられて。捨てられて?俺って、捨てられたの?いつ?どうして?

「海帆、俺が今晩ここにいてやるから、ゆっくり休め。」

「でも、ベッドの下に誰かいる。」

「誰もいないよ。」

俺は自分でベッドの下を覗き込んだ。そしたら暗くてよく見えないんで、ベッドの側にあるライトをつけた。そしてもう一度見たら、やっぱり昔の俺がいる。星五に会う前の、大学に入る前の俺。うずくまって、右手の傷から血を流している。

「海帆。誰もいないだろ?」

俺はベッドを降りて、うずくまっている俺からできるだけ遠くへ行こうと、病院の廊下を走る。ドアを全部調べてみたけど、どれも開かない。俺って、ここに閉じ込められたの?あそこにもう一つドアがある。押してみると、それは外に出るドアじゃなくて、なんかの部屋のドアみたい。部屋の中は薄暗くて、でもよく見ると、やっぱり昔の自分がいる。血を流している自分。俺は叫び声を上げる。星五が来て、

「海帆。」

って、優しく俺のこと呼んで、俺を抱き締めてくれる。でも俺の恐怖はおさまらない。目をつぶっても、なにをしてもおさまらない恐怖。俺は星五を突き飛ばして、また病棟中のドアを開けようとして、でも開かなくて、その時ドアの一つが開いて、外から誰かが入って来た。俺はその一瞬の隙をついて、外に出て、そのドアを閉めた。そのドアは一度閉まると鍵がなくては開かなくなってるらしく、星五は俺の後を追って来ない。誰かがドンドン、とドアを叩いてる。微かに聞こえる。俺の名を呼ぶ星五の声。俺はなにから逃げてる?昔の自分から?階段があったから、上の階へ行ってみた。入院患者のいる病棟の隅に、小さいキッチンがある。俺の目がなにかを探す。なにを?俺はなにを探してる?フォークやナイフや色んなものが全部鍵のかかる引き出しに入れてある。全部開けてみようとしたけど、全部鍵がかかっている。鍵を探す。鍵のかかってないのは、クッキングの本とか、そういうものが入ってる場所。隅々探したけど、鍵らしいものはない。食器やグラスの入ったキャビネットもみんなカギがかかってる。どうしよう?俺は注意深く、もう一つ上の階に行ってみる。そこは精神科じゃないみたいで、キッチンも普通に鍵がなくてもなんでも使える。俺は包丁のある引き出しを開ける。なんだかあんまり切れそうなヤツはない。ちょっとガッカリして、でもその中で一番切れそうなヤツを俺の着てる服の中に隠して、俺はその階を出た。どうする?俺はどうしたい?この病院、結構大きい。入口はどこ?エレベーターに乗った。1階で降りた。遅い時間だから受付に人影はない。裏口を探そうか、と思ったが、正面玄関にも警備員のいる様子はない。でも精神科を抜け出した俺を、誰かが捜しているかも知れない。病院の門を出て通りに出ようとしたら、知らない男に見付かった。黒い服の男。

「海帆!」

俺は服の下に隠した包丁を押えて、走って暗い路地へ入って行った。レストランの裏みたいなところがあって、俺は大きなゴミ箱の陰に隠れた。男は俺を通り過ぎて、次の角を曲がった。俺はなにかをしようとしていた、なにを?考えているうちに、さっきの男が戻って来た。そしてまた俺の名を呼ぶ。

「海帆!」

って。でもなんで俺の名前を知ってるんだろう?また走っているうちに明るい所へ出た。なんか、飲み屋街みたい。レンガ畳の続く細い路地。互い違いに敷いたレンガが、まるでピアノの鍵盤みたいに長く続く。両側に小さな古い飲み屋がたくさんある。さっきの男が俺のこと見付ける前に、やらないと。でもなにを?なにをやるの?俺はレンガの地面に、握りしめた自分の右手を置くと、隠してた包丁を高く持って、自分の右手に振り下ろす。先の尖った包丁が俺の手の表面をかすった。さっきの男が、俺の後ろから俺の左手を掴む。

「なにしてる!海帆!」

男は、俺の手から包丁を奪い取る。俺は後ろを振り返って、

「なんで止めんの!あんた誰?なんで俺の名前知ってんの?」

「俺のこと忘れたのか?」

「誰?俺の知ってる人?」

「星五。君の婚約者。」

「星五?」

「ほら、俺達同じデザインのリングしてるだろ?」

「ほんとだ。でも・・・でも、俺まだ14才なのに?」

「海帆、よかった、無事で。俺のことはそのうち思い出すさ。一緒に病院、戻ろう。」

「病院って?」

手の傷が治ってる。どうして?今、確かに切ったはず。違う、切ろうとしたら、この人に止められた?どうしてこの人はそんなこと?考えようとするけど、どうしても分からない。

「どうして傷が治ってるの?今、切ったのに。」

「さあ、帰ろう。」

その俺の婚約者と名乗る男が、俺の手を握って歩き出す。大きくて暖かい手。

「俺、どうして病院に行かないとダメなの?」

「海帆が俺のこと思い出すまで、病院にいないと。」

なにも思い出せない。この人のこと。一緒に歩きながら、時々彼の顔を見ながら考えたけど思い出せない。悲しくて少し涙ぐむ。

「いいから、ゆっくり思い出せば。」

「うん、ゴメンね。」

病院で逃げたことを、若い看護師にひどく怒られた。もう逃げません、って約束させられた。この星五という人が、俺が眠るまで手を握っててくれた。この人は俺が思い出せなくても無理強いはしないし、俺のこと絶対責めないし、きっと、とても優しい人。注射を打たれてすぐ眠くなって、俺は、

「星五さん。」

「海帆。」

「もし、ほんとに貴方が俺の婚約者だったら、嬉しいな。」

って、言うと、彼は優しく微笑んでくれた。

31

星五さんは次の日も来てくれた。嬉しかった。俺が、

「ドクターが、俺はほんとは今、18で、もうすぐ19だって。嘘だよね?」

彼は黙って俺のこと見ながら微笑む。

「ドクターが、俺に、なんか大きなストレスがあって、14才に退行してるんだって。」

彼は夕べみたいに俺の手を握ってくれる。

「ドクターが、なんで14才なのか分からない、って。」

「なにかあったんだろう、その時に。」

「それよりね、俺ってほんとに今、18才なの?」

「ほんと。」

「そうなの?星五さんが言うなら、信じられる。じゃあ、その4年の間になにがあったの?」

「俺が会った時、君は大学生でピアノを専攻してた。ピアノの先生もしてた。」

「じゃあ、手は治ったんだ。」

「君の妹さんと電話で話した。」

「花帆と?」

14才の時になにがあったか聞いた。」

「もし俺が18才なら、花帆もそうですよ。俺達双子だから。そしたら花帆は今なにしてるんですか?」

「大学生。君の地元で。」

「元気ですか?」

「元気。」

「よかった。」

「花帆さん、中二の時、君が虐められてたって。」

「ああ、俺、女っぽかったから。」

「だから?」

「それにピアノやってて、女の子に人気あって。」

「ピアノのコンクールがあって、俺は地方で優勝して、全国大会に行くことになって。」

「その時、誰かに手を切られたって。」

「花帆がそう言ってましたか?」

「ああ。」

「手が治ったんだ。あんなに酷いケガだったのに。あれからほんとに4年も経ってるんだ。」

「そうだろ?俺の言った通りだろ?俺のことは思い出した?」

彼はそう言って、俺の目を覗き込む。なんとなく恥ずかしくなって、俺は下を向いてしまった。彼は俺の顔を上げて、ほっぺにキスしてくれた。

「いいよ。そのうち思い出すさ。」

「俺ね、随分虐められた。酷かった。花帆は俺と違って強かったから。俺はどうしていいのか分からなくて、自分で自分のことを憎むのを覚えた。他のヤツ等が俺のこと憎んでるんだったら、俺も自分のこと憎んで、あっちの立場に立とうとして。」

「随分、複雑な感情だな。」

「そうかも。自分が生まれて来たのが悪いって。俺、双子だった、っていうのも少しあって、親は二人共女だって思ってて、だから名前もそのまま。」

「海帆、君が生まれて来てくれてよかった。君を愛してる、海帆。」

彼は俺のこと抱きしめてくれた。俺は泣きだして、嬉しくて泣いてたのもあるんだけど、虐めのこと思い出して泣いてたのもあった。

4年も経ってるんだったら、もう虐められないですよね?俺、あの後転校したし。」

「ケガの後、ってことだよね?」

「そう。俺だけ私立に行った。」

「花帆さんが、君は絶対、誰にやられたか言わなかった、って。ピアノのコンクールのこともあったから、警察が調べたけど、犯人は分からなかった、って。」

「そう言ってましたか。」

「他人事みたいに。」

「花帆が言うんなら、そうでしょう。」

「どうして誰にやられたか言わなかったの?報復が怖かったから?」

「俺、ほんとのとこ、よく覚えてなくて。何回も手の手術をしたのは覚えてる。でもまたピアノが弾けるようになるとは思わなかった。上手くやったつもりだった。」

「えっ、どういうこと?」

「なにが?」

「今、上手くやったつもりだった、って。」

「俺、今そんなこと言いました?」

「うん。」

「どういう意味だろ?」

「忘れようとしたけど、覚えてる部分もあるんじゃないか?」

「そういえば今朝、小さな男の子が誰かのお見舞いに来て、俺のことピアノ教室のCMに出てるでしょう?って。俺は違うよ、って言ったんだけど、そっくりだよ、って。」

32

そのまま数日が過ぎて、俺がまだ14才のままなので、カウンセリングの大和先生という人が呼ばれて来た。

「海帆さん、私のこと覚えてますか?」

「どこかでお会いしましたか?」

「いいです。それじゃあ、私は14才の貴方とお話しします。」

「はい。」

「星五さんに聞きましたが、貴方は虐められてたと。」

「はい。」

「そのために自分を憎んでいたと。」

「はい。」

「自分を傷付けようと思ったことはないですか?」

「はい。」

「それはどのように?」

「家の近くに高いマンションがあって。」

「飛び降りようと?」

「はい。」

「他には?」

「電車の線路に。」

「電車に飛び込もうと。」

「はい。」

「自殺をしようと思って、なぜしなかったんですか?」

「たった一つだけ、思い残すことがあって。」

「それはなんですか?」

「音楽。」

その先生は、ずっと厳しい調子で、カウンセリングというより、まるで警察の尋問みたい。でもそこで、長い沈黙があった。

「先生?」

「海帆さん、私は君を助けたい。君自身が14才の君を救わないと、私は18才の君を救えない。」

「じゃあ先生は、18才の俺を知ってるんですか?」

18才の君のカウンセリングをしている。」

「なんで?」

「君の手はもう治ってる。手を手術したドクター達がみんなそう言ってる。だけど君がピアノを弾く時、どうしても音が飛んでしまう。それで私が呼ばれた。私自身ピアノを弾くので。」

「音が飛ぶ?」

俺は自分の右手を見て、ピアノを弾くように動かしてみた。傷は人差し指と中指の間から始まって、手首まで続いている。

「海帆さん。さっき自分を傷付けようとした、って言いましたけど、その手も自分で傷付けたのではないですか?」

「そんなことする訳ないでしょう?俺、来週、全国大会に行くんですよ。」

「分かりました。今日はこのくらいしておきましょう。」

33

あの先生、俺のこと助けたい、言ってたけど、なんであんなこと言うんだろう?自分でやるわけない。星五さんがまた今日も来てくれて、

「どうだった、カウンセリング?」

「あの先生、俺自身が14才の自分を救わないと、先生は18才の俺を救えない、って。」

「そう言うことだな。」

「俺がなにしたの?全然分かんない。あの先生、俺が自分で手を切ったんじゃないか、って。」

「なんて言ったの?」

「そんなことする訳ない。俺、来週、全国大会に行くのに、って。来週?俺、来週って言った?」

「言ったよ。」

「なんで来週?」

「大分、思い出してきてるんだよ。」

「あの先生、俺が自殺すること考えてたから、だから自分のこと傷付けたかったんじゃ、って。」

「自殺したかったの?」

「そう!自分が憎くて!」

俺は激しく叫ぶ。

「海帆?」

俺は手を差し出そうとする彼を両手で強く押して、

「ほっといて、俺を死なせて!」

「海帆、大丈夫?」

俺は全て思い出した。長い間封印してきた出来事。女みたいに生まれて来たのは、俺のせい?俺の過ち?だったら、神様、お願い。俺を罰して!

「俺は、自分に死ぬよりもっと酷いことがしたかった。犯人なんていなかった。自分でやったの!どうして俺はまだ生きてるの?死にたかったのに。だから、死ぬよりつらいことをしたのに!」

「いいんだ!もうとっくに終わってるんだ。」

「俺がどうやったのか教えてあげる。音楽室の隣が調理室で、先の尖った包丁で、ピアノの鍵盤の上で、右手を握ってそれで切ったの。それで自分は安心した。これでもう罪を償った。俺の血が鍵盤をつたって、下に落ちて・・・」

「海帆、もういい!」

「俺、なんでまだピアノなんて弾いてるの?死にたかったのに!」

「お前は変わったんだ。昔のお前じゃない。」

「ほんとにそう?星五。」

「俺のこと思い出したのか?」

「うん、星五。」

「よかった。思い出さなかったら、どうしようかと思った。」

「でもね、星五、もし思い出さなくても、きっと星五のこと、もう一回初めから好きになってた。」

「ほんとか、海帆?」

「うん。優しくて逞しくて、愛してる星五。大好き!」

俺はやっと星五の抱擁を受け入れた。

34

俺達は早くセックスしたかったのに、そのあと3っ日も止められて、やっと退院した。まだマスコミがうろついているらしく、伊星さんの計らいで、ホテルPVCにしばらく泊まった。憧れのホテルに泊まるのは、それはそれで俺はすごく嬉しくて、警備のしっかりしたホテルだから大丈夫だって。旗田教授の授業はしっかり受けてて、俺の右手の動きは、目に見えてよくなっている。人の心と身体はほんとに複雑に結びついてる。大和先生にも会いに行った。

「先生、どうして俺が自分で右手を切った、って分かったんですか?」

「貴方のカウンセリングを始めた頃に、君の手術をしたドクターの一人に聞いたんだけど、その傷は指の方から手前に引いた傷だって。だから、誰か他の人がやるには、君の後ろに回ってやらないと、その傷は出来ないって。誰かが後ろからやった可能性もあるんだけど、私は自分でやった方がもっと自然じゃないかな、って。」

「じゃあ、先生は随分前から、もしかしたら、って。」

「そう、でも君が全てを思い出すことに耐えられるかどうか、心配だったから。」

「そうでしたか。先生ね、もうすぐ俺が先生に会わなくてよくなるかも。旗田教授が、もう大分いいって。」

「よかった。でも、ちょっと寂しいかな。」

「俺のピアノ聴きに来てください。なにかの時に招待状送りますから。」

35

星五が、

「お前が14に戻ってる時にセックスすればよかった。」

「犯罪でしょ、それ。」

「そうかな?だって、身体は18才。」

「星五はもともと若い子が好きだった。」

「そうかな?」

「ほら、あの子。15才だって。」

「誰がそんなこと。」

「星五が言ってました。ちゃんと覚えてます!」

「俺はでもアイツとはそういう関係じゃなかったし。」

「一緒にバーのトイレの個室に入るという、他の理由がありません。」

「あれはな、ヤツが俺のあとをつけてバーに入って来るから、見付かる前に帰れと。」

「信じませんから、そういうの。じゃあ、なんで星五の家にいたの?」

「だからそれは、自分の家に帰りたくないと。それにアイツ、ネコ好きだし。」

「じゃあ、星五が、あんな15才だって、俺のこと絶対諦めない、って。」

「お前って、意外と執念深いんだな。」

「ほら、そうやって話しをそらす。」

「輝生のことは、お前と付き合う前のことだから。」

「あー、そうですか?じゃあ、彼は今はどこに住んでるの?そして今でも星五のことを諦めないんでしょうか?」

「あれっ、明日のミーティング何時だったかな?清松に電話しよう。」

ここで俺が星五の頭を枕で殴り、

「話しをそらさない!彼とまだ怪しい関係ならそれでもいいから、ハッキリ言う!」

「怪しい関係?じゃあ、ハッキリ言うと・・・」

「あ、でもやっぱり聞きたくないかも。あ、でもやっぱり聞きたい。」

「どっちなの?」

「聞きたい。」

「輝生は、俺のことまだ多少好きかもしれないけど、彼も受験で忙しいし。」

「だからまだセックスしてるのかどうか?」

「君と婚約してからはさすがにしてません。」

「さすがに、って。じゃあ、その前はしてたんだ。犯罪。犯罪者!」

「犯罪者?」

「そうでしょ?」

「なんか、いいな。その犯罪者、という響き。」

「なんかバカバカしくなってきた。下のジムに行って来よ。」

「あ、じゃあ、俺も行く。」

「あ、でもその前にセックス?」

「その前にすると疲れるから。」

「それは年を取った証拠。」

今度は俺が枕で殴られた。

36

このホテルに泊まることで一番素晴らしいのは、あのピアノで毎日のレッスンが出来るということ。バーが始まる前、毎朝弾いている。しかし、旗田教授のそのまた教授だった、伊星さんが俺の先生になってくれて、それはいいんだけど、とても厳しいんだ、これが。

「海帆、今誰か他のピアニストのこと考えて弾いてただろ?」

「あ、はい。」

「誰?」

「ヴァレンティーナ・リシッツァ。」

「ヴァレンティーナはもういるから。君が彼女にならなくてもいいだろ。彼女は世界に一人でいいから。」

「はい。」

「じゃ、もう一回。ショパンと君の間に、誰も入れちゃダメだ。」

「はい。」

「ほら!」

「はい?」

「そんなにドラマティックに弾かなくていい、ってなん回も言わせるな。」

「はい。」

「今の子達はドラマティックに弾き過ぎる。ショパンだって、そんなに難しく考えて創ってた訳じゃないぞ。」

「え、でも。」

「ま、たまにはそう言う事もあったかも知れないけど。」

「え、はい。」

「今のとこ。これマズルカだろ?マズルカをノクターンみたいに弾いちゃダメだろ。旗田はそういうことちゃんと言わないのか?」

「いや。」

「今度、ここに連れて来い。俺がちゃんと言ってやるから。」

「はあ。」

「分かった。君らはドラマティックに弾きたいから、マズルカをノクターンみたいに弾くんだ。」

「え?」

37

俺は大学に行って、旗田教授に泣きついた。

「あの先生、言ってることが滅茶苦茶なんですよ。助けてください!」

「なんだって言うんだ?」

「なんだっけ、ああ、俺がマズルカをノクターンみたいに弾くって。それは俺がショパンをドラマティックに弾きたいからだって。」

「確かに、滅茶苦茶だな。じゃ、ちょっとマズルカ弾いてみろ。」

で、俺が弾いて、

「じゃ、今度はノクターン。」

で、俺が弾いて、教授が、

「もう音はほとんど飛ばないな。」

「伊星さん、旗田教授に言いたいことがあるから、連れて来るように、って。」

「えっ?」

次の日の朝。伊星さんが、

「よかったな、やっとお前もこのピアノが弾けるような身分になった。」

で、旗田教授が俺の弾いてた、ショパンのマズルカを弾いた。

「ほら!お前がそういう風に弾くから、海帆までマズルカが弾けないんだ。」

「はい。」

「俺はお前達にそういう風に教えた覚えはないぞ。」

「はい。」

「マズルカってダンスだろ?踊りたくなるように弾くんだ。リズムの問題だ。」

「はい。」

旗田教授が俺の方を睨む。俺のせいじゃないよ。そしたら今度は、伊星さんが、

「海帆。次、お前やってみろ。」

「え?」

「え?ってなんだ?もう手の傷の言い訳はなくなったから、他の人と同じになっただろ?マズルカか弾けるまで他の曲はどうでもいいから。」

「はい。」

「海帆、ワルツだ。三拍子だろ。旗田、なんでこんなこと、ちゃんと教えないんだ。」

「はい。」

旗田先生がまた俺の方を睨む。だから俺のせいじゃないって。

38

俺はやっと解放されて、部屋に戻って来た。星五はまだ部屋にいて、

「あれ、星五、まだいたの?」

「お前こそなにしてたの?もう昼過ぎだぞ。」

「どうもこうも。」

「どうもこうも?」

「そう。俺の教授が伊星さんの教え子で。」

「へえ。みんなで何してたの?今日は土曜日だよ。」

「あ、そう。あの二人まだやってるよ。」

「じゃあ、見に行こうか?もうバー開いてるだろ?」

「いいよ、もうピアノは。教授が可哀そう。」

「そうかな?」

「だからこれは、例えば、星五が星五の先生に、清松さんの前で怒られてるようなもんでしょ。」

「だから?いいチャンスじゃないか。いい勉強ができるぞ。それにいい気味じゃない。」

「星五ってそういう性格だったんだ。」

「行こう、行こう。」

俺はゆっくり時間をかけて、スーツにアイロンをかけて、着替えて、髪の毛まで編んで、なかなかできないネクタイまで締めようとして、そしたら星五が待ってられなくて、俺のネクタイを締めてくれた。それでまたバーに行ったら、あの二人はまだやっていた。可哀そうな旗田教授。

「なんか、旗田教授、やけになってますよ。」

って、俺が言うと、突然、伊星さんが、

「ほら、出来たじゃないか!」

って、叫ぶ。

「ショパンなんて、深刻に弾いちゃダメなんだ。軽くいくんだ。」

俺が、

「よかった、よかった。」

って、言いながら、拍手する。教授はまだ俺の方を睨んでいる。そしたら伊星さんが、

「じゃ、旗田、お前も折角来たんだから、今度はノクターンを弾いてみろ。」

教授が、

「はい。」

伊星さんが、

「あれ、おかしいな?ノクターンに聞えない。海帆、お前弾いてみろ。」

今度は俺が星五を睨む。星五はノンキに俺の弾いてる写真なんか撮ってる。俺は星五に殺意を抱く。そしたら意外なことに、伊星さんが、

「ほら、これがノクターンだろ?なんで海帆に出来て、お前に出来ない?」

俺が、

「なんかあの二人、今日一日中やりそう。」

星五が、

「ゆっくり飲みながら、見物しよう。」

「あれっ、頼潔じゃない?なにしてんだろ、こんなとこで。」

やっぱり 頼潔だ。通り過ぎる時に、思いっ切り俺のことを睨む。俺が、

「なに、頼潔?俺、なにかしましたか?」

頼潔が、

「お前が始めたんだ、こんなバカバカしい営業。」

「へー、すごいじゃない。こんな高いホテルで。」

「清矢に、どうしても今日中に、契約にサインさせろ、って。」

「へー、でも誰?あそこのジジイ?な、わけないな。」

その時、

「頼潔!」

って、呼ぶ声。え、あの男の子?まだ小学生じゃない?

「へー、あの子が35万?」

「全部、お前のせいだからな!」

「頼潔!」

「はいはい、快志君。子供はバーに入れませんよ。」

「俺、子供じゃないから!」

「子供だって!」

その子がバーを走り回り、でもあんまり可愛いので、客達も目を細めて見ている。その子が、

「じゃあ、一緒に部屋に行こう。」

その子が頼潔と手をつなぐ。

「だから、快志君、まだ子供でしょ?」

その子が嬉しそうに、つないだ手を振る。

「頼潔は今日一日、俺が買い取ったんだから。」

可哀そうな頼潔。あの子髪、巻き毛で、見た目だけなら天使みたい。星五に、

「あれじゃあ、頼潔、犯罪者?」

星五が、

「お前等のやることは理解不能だから。」

俺が、

「ま、犯罪者、という響きが好きな人もいるしね。」

星五が、

「あれ、君の教授が。」

俺が、

「旗田教授、やっとノクターン弾けたんですか?よかったですね。」

「なにが、よかったですね、だ。今度はプレリュードだって。お前のせいだぞ。海帆!」

星五が、

「ああいうのって、大体何種類ぐらいあるもんなの?」

俺が、

「まあ、限りなく、ありますけど。バラード、ワルツ、エチュード、スケルツォ、ポロネーズ、ソナタ、即興曲、幻想曲・・・」

「え、そんなに?」

「なんかさっきから、みんなが俺のせいだって。」

「気のせいじゃないのか?」

「そうだよね、俺なにもしてないし。」

「ゆっくり飲みながら見物しよう。」

「うん!」


広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください